・2030年2月9日(土) 脱出
「ここに外に繋がる扉があります。そこから脱出しましょう。」
「そこにキドの分霊箱もある。」
「そうです。間違いありません。」
彼はそう言って指をパチンと鳴らした。人気のない深夜の中庭にその音はやけに大きく鳴り響いた。
僕もその金属製の壁の事は知っていたが、鍵穴やドアノブがなかったので扉だとは思っていなかった。扉の前までくると彼が言った。
「右側の柱に小さな分電盤のようなものがついていますよね。あれがいわば分霊箱の役割をしていて扉を開ける鍵にもなります。」
僕がそれに触ろうとすると、彼は慌てて僕の腕を掴み引き止めた。
「危ないですよ、高圧電流が流れているんです。触っただけで一瞬で黒焦げになっちまいます。あれを破壊できるのはラクダさんの持っているナイフだけです。まずは何か壊しやすいものをイメージして蓋をたたき割ってください。」
「中には何が入っているんだ?」
「そこまでは私にも解りません。でもおそらくそれがキドの魂の欠片にあたるものです。」
その時、突然大きな地響きのようなものが聞こえた。そして気圧が変わったときのような頭痛と怠さを感じ急に嫌な予感がして鳥肌が立った。
「ラクダさん、少し急いでくれませんか?そろそろ我々の動きが気づかれたようです。大量の思念がこちらに向かって来ています。おそらく二人だけでは防ぎきれません。早く魂の欠片を壊さないと私達は永遠にこの世界に捕らわれる事になります。」
「アズカバンの囚人みたいに?」
僕は少し冗談交じりに言ってみたが、彼は真顔で「そうです。」と答えた。本当に事態は急を要しているようだった。
「解った。急ぐけど、俺は結構不器用なんだ。お前が代わりにやってくれないか?」
「駄目です。これはラクダさんじゃないと出来ないんです。」
「それはどうしてだ?」
僕が尋ねると彼は、少し困惑して言葉を濁した。
「私の組織にも取り決めみたいなものがあって、あまり具体的なことは言えないんです。これ以上はご容赦ください。」
どいつもこいつも隠し事をする奴ばかりだ。そして僕だけが何も知らされず蚊帳の外だった。少し腹が立ったが、今はここから抜け出すことが先決だ。いいだろう、取り出してやろうじゃないか。
「集中してナイフにあなたの念を込めるんです。」
僕は雑念を捨てて、言われるがままに集中した。そして金属製の蓋を薄くて欠けやすいワイングラスだと思う事にした。そして一気にナイフを振り下ろすと、蓋はパリーンという乾いた音を響かせて一瞬で砕け散った。中を覗いてみると、そこには2枚のカードのようなものが張り付いていた。
「いいですね、その調子です。中身はカードでしたね。それを2枚とも取り出してください。ナイフを使わないと感電しますので気を付けてくださいね。ところでそろそろやばそうですが、私が時間を稼ぎますので、早速取りかかってください。」
後ろを振り向いてみるといつの間にか、スライムのような形をした大量の思念が群れをなしていた。彼らは、相変わらず行き場のない憎悪や、やるせない悲しみのような感情をまき散らしていた。これが頭痛と怠さを僕にもたらしていたのだろう。飲み込まれてはいけない。
「まずこいつらを二人で倒してから魂の欠片を処分した方がいいんじゃないか?」
と僕は提案したが彼は、首を振り僕を制するようにこう言った。
「その間におそらくキドが来てしまうでしょう。そうしたら全てがおしまいです。振り向かないで、ますは取り出す事に集中してください。」
大量の思念が近づくと、彼は即座に携帯していたジャックナイフを抜き、次々に切り裂いていった。その太刀さばきや身のこなしは、どこかで特殊な訓練を受けてきた人間のものとしか思えなかった。
僕はスライムは彼に任せ、カードを剥がす事に集中した。まずはナイフの先をヘラのように使い、カードを剥がしにかかったが、1枚目のカードは簡単に地面に落ちた。2枚目のカードも少し抵抗はあったが、剥がすことができた。拾って確かめてみると、それはタロットカードとトランプのクィーンのカードだった。素材としてはプラスチックのようだったが、特に変わったところは見当たらなかった。
「カードを取り出したけど、次はどうすればいい?」
僕は振り向いて大声でヒラヤマに確認をした。
「それを燃やすんです、あなたのZIPPOのライターで。悪いけど急いでくれませんか?私もそれほど長くは持ちません。」
見渡すと、中庭の半分以上はスライム状の思念に支配されていた。確かに残された時間はあまり無さそうだ。僕はまず、タロットカードを拾い上げ、ZIPPOで火を点けた。すると驚くほど簡単にボッと燃え上がり一瞬で灰になった。それから2枚目のハートのクィーンを拾い上げ、同じように火を点けようとした。
ただ、こちらのカードは身を捩らせるようにして火を点けられるのを拒んだ。まるで生きているクラゲを相手にしているようだった。僕がなかなか火を点けることできず戸惑っているのを感じとったのか、ヒラヤマが叫んだ。
「もっと集中してください。燃えやすいものをイメージするんです。」
燃えやすいもの、例えば何だ?麻紐やカサカサに乾いた枯れ枝のようなものか?僕はそれをイメージしながらもう一度仕切り直し、辛抱強くZIPPOのライターの火をカードをかざした。やがて持ち手の真鍮が熱を持ち、僕の手は焼けるように熱くなっていた。オイルが少なくなり火の勢いも弱くなってきたので、一度中断して手を離したかったが、今の状況を考えるとその時間はなかった。
「さあ、ボッと燃やしてしまおうぜ、タダノ君。」
僕は自分を鼓舞するためそう叫んでみた。するとカードはついに抵抗を諦めたのか、一気にボッと燃え上がった。
それでも僕はカードが燃え尽きる寸前まで手を離さず、ハートのクィーンが完全に灰になるのを見届けた。燃え尽きる直前にキドの狂気にも近い悲鳴のような声が聞こえた気がした。
「ひっひっひー、ひひひー」
その声はしばらくの間、耳鳴りのように僕の頭に響き、残った。
やがてカードが燃え尽きると同時に金属製の扉が音もなくゆっくりと開いた。
振り返ると疲労困憊した様子のヒラヤマが、仰向けになって横たわっていた。
「はは…。やりましたね。おかげでアズカバンの囚人にならなくて済みました。これで脱出できます。でもその前に少し休ませてください。ふぅー。」
「おかげで助かったよ。ありがとう。」
僕はヒラヤマの隣に座り軽くグータッチをした。見渡すとスライムのような思念は消滅し中庭はいつもの静寂を取り戻していた。
「でもなんで魂の欠片はクィーンのカードの形をしていたんだろう?」
僕はふと疑問に思った事を口にした。
「だってキドはフレディーマーキュリーですよね?」
なるほど。僕はヒラヤマのように指を鳴らそうとしたが、低温火傷をしていることをすっかり忘れていた。指は掠れて音が出ず、おまけにひどく痛んで僕は思わず顔をゆがめた。
「早く冷やした方がいいですよ。」
ヒラヤマが笑って言った。
それから僕たちは開いた扉から施設から脱出した。お互いに疲れ切っていたので無言のまま、暗い道をとぼとぼと歩いた。途中で新宿とは思えないような不可解な道を通ったので本当に歌舞伎町までたどり着けるのか半信半疑だったが、ヒラヤマが迷いなく歩いていたので僕は黙ってついていった。
これまでに色々な事がありすぎたので、僕は以前の現実世界に本当に戻れるのだろうかと不安に思ったが、同時にこれ以上悪い事は起きないだろうという予感もしていた。
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コメント
ラクダが無事に脱出出来て、良かったです。やっぱりキドに見つかってしまい、脱出出来ないかも⁈と想像していました。
このあと、ラクダはどの様な境遇になるのか、続きを楽しみに待っています。
いつもコメントありがとうございます。これからラクダがどうなるのか(どうするのか)実はまだ明確には決まっていません。書いているうちに段々そうなってきたのですが、キャラに決めて貰おうかなと思ってます。なんだかいっぱしの作家ぶってしまって、恐縮ですが(^^;)本当に残り少なくなりましたが、最後までぜひお読みください。>柴犬