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ハートに火を点けて 12 2030/2/9 覚醒

2023年
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・2030年2月9日(土) 覚醒

「ラクダさん、お待たせしました。」
暗闇の中、聞こえてきたのは、ヒラヤマの声だった。彼はペンライトを照らしながら、僕の方へ音を立てないように近づいてきた。ベルボーイの格好はそのままだった。

「お迎えに来ました。この前は手荒なことをして、本当に申し訳ありませんでした。監視カメラもあったし、キドに疑われないようにするためには、ああするしかなかったんです。」
彼は小声で丁寧に詫びた。

「詳しい説明は改めてしますが、今は時間がないんです。私を信用してついて来てきてくれますか。」
彼は不安そうにそう言ったが、僕は即座に「わかった。信用するよ。」と答えた。彼は目を丸くして僕を見た。今までの経緯から説得するには時間がかかると思っていたからだろう。

「私が言うのも変ですが、なぜ、私の事をそんなに簡単に信用できるんですか?」
彼が尋ねたので、
「それは悪いけど、プライベートな事なんで話せないんだ。」
と僕は少し気取って答えた。僕としてはサキの言葉を信用していただけだったが、それは言わないことにした。皆、何かを隠しているのだ。僕にだって秘密の一つくらいあったっていい、そう思った。すると彼はニッコリ笑って「解りました。」と言った。

「これからどうすればいい?」
「まずは目立たないように、これに着替えてください。サイズは合うはずです。」
彼はそう言って、ベルボーイの制服をベットの上に置いた。僕は頷いて暗闇の中で苦労して着替えをした。荷造りはしてあったので、すぐに出られる準備は整っていた。

「それから、壁に刺さっているジャックナイフを抜いて持ってきてください。」
「あれは抜けないよ、何度も試したんだ。」
「今なら抜けます。一定の時間が経過しないと抜けないように細工をしておいたんです。」
試しにジャックナイフを引っ張ってみると、確かに驚くほど簡単に引き抜くことができた。そして、手に取ってみるとそれは僕の手のひらに不思議なほどしっくりと馴染んだ。

「それはあなたのために用意されたナイフです。もし身に危険が迫ったら迷わず使用してください。では、早速、ここを出ましょう。」

それから2人で部屋を出て、いくつもの入り組んだ施設の通路を、なるべく音を立てないように無言で走った。エレベーターは部屋の近くにあったが、見つかる怖れがあったので使用は避けたようだった。通路はなぜか非常灯すら点いておらず、不気味でしんとしていたので、彼のペンライトだけが頼りだった。

いくつかの部屋の前を通り過ぎる時、時折、女性のすすり泣く声や若い男の苦痛を感じているような悲鳴、狂ったような笑い声が聞こえてきた。

彼は走りながら、呼吸の乱れもなく僕に忠告をしてきた。
「耳を塞いであの声は聞かないようにしてください。足が止まって暗闇に引きずり込まれてしまいます。そしてなるべく楽しかった事だけを考えてください。」

僕はすっかり息切れしていて、返事もろくに返せなかったが、言われた通りサキとの楽しかった思い出だけを考えようと思った。初めて会った時の屈託のない笑顔、屋上で煙草を買ってきてくれた時の嬉しそうな顔、お互いに無言で寄り添っていた最後の時。ただ、サキとの別れを思い出し、悲しみがこみ上げてきた時、僕の体は突然重くなり足が止まった。まるで急流な川の流れの中を逆らって歩いているような感覚だった。どうしようもなく気持ちが落ち込み、何をやっても報われないような気がした。悲しみと無力感が僕を襲った。

彼は僕の異変に敏感に気づき振り向いて声を張り上げた。
「ラクダさん、あなたの目の前にいるのは、思い出を奪われた連中の憎しみや悲しみの残留思念みたいなものです。あなたは今、それにシンクロしてしまっています。ナイフを使ってそいつを断ち切ってください。」
僕は彼の言葉の意味はよく理解できなかったが、とりあえず前方にある何かをめがけて、ナイフを振り下ろした。その直後、岩のように固い物にぶつかったような強い衝撃を感じた。手に痺れを感じ危うくナイフを落とすところだった。

「駄目だよ、固くて切れそうもない。それにナイフなんてほとんど使った事がないんだ。」
「ラクダさん、それを断ち切らないとあなたはここから永遠に出られなくなりますよ。ここは仮想空間です。目の前にあるものが、固くて重いというイメージを持ってしまっているから切れないんです。何か柔らかくて切りやすいものを想像してみてださい。」

柔らかくて切りやすいものをイメージする?例えば何だ?ビニールはどうだろう?いやそのままでは絡んでしまう。でもピンと張ってやれば簡単に切れるかもしれない。僕はビニールハウスのようなものを一心に思い浮かべた。そして、深呼吸をしてから再びナイフを振りおろすと、「プシュッ」と空気が裂けるような音がした。僕の手には何かを切り裂いたという確かな感触があり、それと同時に体が軽くなり、足も動くようになった。

「ラクダさん、その感覚ですよ。忘れないでください。」
それから数回、同じような事があったがコツをつかんだせいか、面白いほど簡単に残留思念のようなものを断ち切る事が出来た。僕の中で失われていた自信のようなものが回復しつつあった。そして「今の自分とヒラヤマならキドも倒せるかもしれない?」そういう考えが頭をよぎった。

「なぁ、これからキドを探して、倒しに行かないか?」
僕は試しにそう言ってみたが、彼は即座に却下をした。

「キドと正面から戦って勝つのは無理です。あいつはこの世界にいる限りは最強ですから。だから別の方法で倒す必要があるんです。」
「それはどんな方法なんだ?」
「ラクダさんは、ハリーポッターの映画を見たことがありますか?どうやってヴォルデモ…、いやあのお方を倒したか覚えてますか?」
「最終章まで見たよ。確かハリー達が魂の欠片を集めて壊して力を弱めていたような気がするけど…」
「その通りです。苦労して見つけたんですよ、それが入っている分霊箱を。今、その場所に向かっています。」
彼は少し得意げにそう言った。

そのまま走り続けるとやがて、廊下の突き当たりに小さな扉が見えた。彼がIDカードのようなものをかざし、扉を開けるとそこには非常用のらせん階段があった。月明かりが見え、外の空気を吸えたので僕は少し安堵した。そのまま、らせん階段を降りていくといつも喫煙をしていた中庭にたどり着いた。彼はそれから、レンガ造りの壁の一角にある、金属製の扉を指さした。

「あそこに外に繋がる扉があります。そこから脱出しましょう。」
「そこにキドの分霊箱もある。」
「そうです。間違いありません。」
彼はそう言って指をパチンと鳴らした。深夜の中庭にその音はやけに大きく鳴り響いた。

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