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ハートに火を点けて 9 2030/1/26 狂気

2023年
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・2030年1月26日(土)

翌日早々に、僕は至急キドに会いたいので連絡を取って欲しいとフロントに伝えた。フロントの女性からは、いつもようにとても感じの良い笑顔で「スケジュールを確認しますので部屋でお待ちください。」と言われた。

キドは午後になってから僕の部屋にやってきた。
「どうしたんだ、急に呼び出したりして。契約更新の話ならフロントに伝えるだけでいいだろう。ひょっとして報酬を上げて欲しいのか?だとしたら君も欲張りだな。まぁそういうのも嫌いでないがね。」

彼はそう言って苦笑いをした。僕は彼に悟られないように平静を装ってこう言った。

「実は母が今、入院をしています。様子が気になって昨日病院に電話をしたところ、危篤状態なのですぐに来て欲しいと言われました。そのため申し訳ありませんが、モニターは今日で終了させてください。」

彼は「それはお気の毒だな。」と頷いて話を聞いていたが「ちょっと待っていてくれ。」と言って部屋から出て行くと、2,3分くらいして部屋へ戻ってきた。そしてスマホを見ながら淡々と話し始めた。


「待たせたな。今、確認したが君の母上は今のところは心配はない。入院なさっている病院に確認したよ。肝臓癌のため、余命は長くて1年程度だそうだな。お気の毒だが、危篤ではない。今朝も朝食は残さず食べ、看護師に病院食は味が薄くて不味いと愚痴まで言っていたそうだ。明るい性格で人気者のようだな。でも嘘はいけないよ、ダダノ君。」

僕は唖然として、なかなか言葉が出なかったが、聞きたかった事をようやく口にした。
「僕の事を何処まで調べたんですか?」

「施設にいる人間の身元は全てチェックするようにしている。何しろ特殊施設だからね。その気になれば、君の小学校の頃の成績や初恋の相手だって調べられる。もっとも今の所、そこまで調べる気はないがね。」
そう言うと彼は口元に笑みを浮かべ、話し続けた。

「君は以前の職場で就業時間中に紙巻き煙草の喫煙をして解雇通告を受けた。煙草はバンコクにいる友人から送られてきたものだね。つまらない事をしたもんだ。ただ、世の中にはそういうどうしようもない弱さを抱えている人間が沢山いる。ここはいわばそういう人間のための施設なんだ。弱さを取り除き、更生させるためのね。君はまだ、その弱さを抱えたまま克服していない。だから外出を許可する事はできない。」

更生って何の事だ?ビジネスじゃなかったのか?

「これから僕をどうするつもりですか?」
僕はそう尋ねたが、自分でも声が震えているのが解った。

「どうもしないさ。決められた期間、ここにいてもらうだけだ。監禁も脅迫もする気は無い。ただ我々は君が心に抱えているものに興味がある。一般的には思い出とでもいうべきものかな。確かサキちゃんといったかな?君の以前付き合っていた女性は。我々のクライアントの中にはそういう類いのエピソードを好んで高値で買い取ってくれる人間がいるんだよ。私にとっては安っぽいメロドラマでしかないがね。くっくっくっ。」

僕はサキとの事を茶化された事に腹が立ち、彼のことを睨んだ。

「ほう、怒ったのか。まだその程度の覇気は残っているようだな。君をもう少し楽しませてやろうと思ったが、計画を変える事にした。」
その後、僕は突然、みぞおちあたりに強い衝撃を感じた。どうやら蹴りを入れられたようだった。僕はベットの上に突き飛ばされて倒れ、壁に頭を強くぶつけた。一瞬、全く呼吸ができなくなり目の前が真っ暗になった。

それから彼は机の上や引き出しにしまってあった数種類の煙草の箱を無造作に掴み、僕の方へ向かって投げつけた。いくつかの煙草が僕の頭や顔に当たり、跳ね返りベットや床の上に散乱した。

「ほら、吸えよ、思う存分な。紙巻き煙草を吸いたかったんだろう?女に捨てられても、仕事を失ってでもやめられないほど好きな物なんだろう?口先だけはご立派で、セルフコントロールもできない、学習もしない情けない奴なんだよ、お前は。」

僕はまだ満足に呼吸ができず、ベットの上でのたうち回っていた。苦しさと情けなさと腹立たしさ一体になり押し寄せた。涙目になり、咳が止まらなくなった。彼の言動はさらにエスカレートしていった。

「どうせ、そのつまらん女との事がトラウマになっているんだろ?そんなヌメヌメしたなめくじのような気持ち悪い感情は、持っていても害悪になるだけだ。だから我々が綺麗に害虫駆除をしてやろうと言っているんだ。そうすればお前だって新しい女と付き合おうって気にもなるだろう。そうだ、何なら俺がもっといい女を紹介してやろうか。ひっひっひー。」

怒りが頂点に達し、何かを言い返したかったが、僕はまだ体を動かす事どころか声すら出せずにいた。同時に、彼の表情が変化している事に目を奪われていた。

顔全体があり得ないほど歪み、皮膚は蝋が熱でとけるようにドロドロになっているように見えた。この世のものとは思えない光景を目の当たりにして鳥肌が立ち、一瞬、痛みすら忘れていた。今自分が見ているのは悪い夢で、頭を打ったことで精神が錯乱状態にあるせいだと信じたかった。

その時、突然、彼の携帯電話の呼び出し音がした。彼は「はっ」として我に返ったように僕に背を向けて電話に出た。そして「うんうん」と頷きながら数分会話をしてから電話を切った。再びこちらを向いたときは、いつものクールな表情に戻っており、また淡々とした口調で話し始めた。

「今日は、君のお兄様が母上のお見舞いに行くそうだ。だから心配はいらないだろう。本当に親孝行な息子達だな、感心するよ。」

「僕を騙したんですね。」
僕はようやく声が出せるようになったが、こう言うのが精一杯だった。

「だとしたらどうなんだ。君だって、私にずいぶんと嘘をついていただろう。お互い様じゃないか。」
「僕は少なくとも、あんたに危害を加えたり、利用しようなんて思ってやしなかった。あんたは狂っている。」
「盗人猛々しいとはこのことだな。ふん、まぁいいだろう。百歩譲って私のやっている事は確かに世間から見れば逸脱した行為かもしれない。それでも私にはこうあるべきという理念がありそれに基づいて行動をしている。セルフコントロールできる強い意志もある。君より遥かに高尚な生き方をしている。レベルが違うんだよ。」
キドは頭を指さしながら、僕を見下すように言った。

「いいか、我々はここで君を跡形も無くデリートすることもできる。社会的にも生命体としてもだ。これは嘘じゃ無い。我々の組織にはそれぐらいの力はある。でもそれは今はしない。何故だかわかるか?」

僕はただキドを睨みながら黙っていた。

「まだ君には利用価値があるからだ。収穫物が熟す前に枝を切り落とす馬鹿はいないだろう。ともかく、あと2週間はこの部屋でじっとしていろ。それまではせいぜい自分の無力さと愚かさを嘆くがいい。水をやらないトマトは自力でなんとか生き伸びようとして水分を吸収しようとあがくだろ?同様に君が苦しめば苦しむほど、その果実の甘みが増す。ひっひっひっ」

そう言ってキドはいつもの彼からは想像できないような下品な笑いを残し、素早く部屋を出て行った。僕はようやく体を動かせるくらいに回復したので、彼が確実に立ち去ったのを確認して、まとめていた荷物を引きずるようにして部屋を出ようとした。でも鍵はなぜか開かなかった。どうやら内側から開かないよう特殊な外鍵をかけられたようだった。僕は腹立たしさを紛らわすためドアを数回、力一杯叩いてから諦めてドアの前に座り込んだ。

思い出を買い取るって?あの男は一体何を言っているんだ。僕は彼が触覚のようなものを伸ばし、僕のこめかみから頭の中に管のようなものを挿入してくる様を想像した。考えたくもなかったがそのイメージはどうしても頭から離れなかった。そうやって僕の脳髄でも吸い取るつもりだろうか?蝶が花の蜜を吸い取るように。

僕は身震いをして、心底ぞっとした。早くここから出なければならない。でも一体どうすればいんだ。何か考えようとすると、頭がズキズキ痛んだ。それは頭を強く打ったせいではなくキドに言われた事が頭から離れなかったからだ。

「口先だけはご立派で、セルフコントロールもできない、学習もしない情けない奴なんだよ。」
その言葉が何度も繰り返され、僕の心を突き刺した。悔しさと惨めさと情けなさが一体になり、押し寄せた。

今度こそ本当に駄目かもしれない。そう考えると自然とサキの事が頭に浮かんだ。「最後にまた君に会いたい。」そう思ったが、僕は首を振った。僅かだが時間は残されている。まだ何か出来ることはあるはずだ。

「クールになってよく考えるんだよ、タダノ君。」

僕はドアに寄りかかり天井を見上げながら、そうつぶやいた。

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コメント

  1. より:

    キドと言う人物の「ひっひっひっ」と言う笑い方がキチッとしたイメージの人物像と違う点が不気味さを感じます。蝋が熱されて歪んだ顔も充分に不気味ですが、「ひっひっひっ」の笑い方が(個人個人の思いですが…)不気味さや、恐怖感などを想像しやすく、いいと思いました。
    ラクダは仕事の事や、親の事がバレてヤバイ感じがジャリジャリして来て、普通ならば、もう抜け出さないって、焦燥感を自分じゃないのに感じてしまう。
    まだホントに少しだけ、僅かな脱出のチャンスはありそうだけど、今後の展開に期待します。

    • 毎回、コメントいただきありがとうございます。今のところ、情けないタダノ君ですがどのように立ち直って脱出していくか、期待してください。今回の話は何度も禁煙に失敗していた自分の姿に重なり、我ながら書いていて痛かったです。(>o<)>柴犬

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