犬 柴犬 会話 別れ | ねじまき柴犬のドッグブレス

サリーとの会話

2023年
Pocket

犬は人間の言葉が分かりますか?

犬は人間の言葉をある程度は理解しています。「散歩」や「おやつ」などの言葉に反応するのは、人間の言葉を理解している証拠です。 「病院」や「シャンプー」など、犬が苦手なことに対しては尻尾を下げて嫌そうな素振りもします。

僕が20歳くらいの頃、実家ではサリーという名前の中型の雌の柴犬を飼っていた。サリーは、ほぼ生まれ立ての状態で家にもらわれてきた。今思えばめちゃくちゃ可愛い頃だったけど、当時の僕は、頼まれたら散歩に行く程度で、サリーの世話をあまり積極的にはしていなかった。その頃は学生だったけど、一人暮らしをしたり実家に戻ったりを繰り返していたからかもしれないし、また自分の身の回りの事にしか興味が持てなかったせいかもしれない。そのうちに大学を卒業して就職して一人暮らしをしてからはさらにサリーとも家族ともだんだんと疎遠になっていった。

それから33歳の時に仕事をやめてWebデザインの専門学校に通いはじめた。それまでの仕事をずっと続ける気はなかったので一念発起したのだけれど、経済的に不安があったので親に頼み込んで当面実家に住まわせてもらうことにした。ちょっと情けない気持ちはあったけど年齢も年齢だったし仕方なかった。家に戻ってきてからは、すぐにサリーの散歩係を進んで申し出た。そのとき専門学校に通っていたのは週4日で勉強に集中するためアルバイトもしていなかったので、自由になる時間がたっぷりとあったからだ。それと親が散歩の時、無精してライトバンの後部座席に乗せて外に連れ出してトイレだけ済ませて連れて帰るような事をしていたので、さすがにかわいそうになった。両親ともに高齢者になりつつあったから、散歩も面倒になってきていたのだとは思うけど。

サリーはどちらかといえば「ぼー」としたタイプの犬で、また知らない人でもすぐ懐いてしまう、番犬にも向かない犬だった。本当に食いしん坊で母がアサリの味噌汁の残りをご飯にあげると、それを貝殻ごと食べてしまうような犬だった。まぁ貝殻ごとあげる母も母なんだけど。ともかく時間があったこともあり、その頃はサリーとは毎日のように散歩をしていた。朝か夕方に1時間くらい、長いときは3時間を超えるときもあった。サリーは老犬にしては元気があり好奇心が旺盛だったから散歩はストレス解消になっていたし、僕の方は油断するとお腹が出始めそうな年齢だったから、散歩は良い運動になってお互いに満足していたと思う。

また、本当に転職ができるのか不安な時期だったから、サリーと一緒にいることは精神的にも本当に癒やしになっていた。専門学校の課題がなかなかできなくて行き詰まった時もあったけど、散歩していているときに良いアイデアが出てきてサリーに助けられたりもした。僕もサリーも年をとってお互いに色々なことがあって、若いときとは違う付き合い方ができるようになった気がしていた。昔はあまり話をしていなかったけど、久しぶりに再開して仲良くなった同級生みたいに。

それから1年くらいして、サリーは徐々に元気がなくなってきた。ご飯を残すこともあり散歩に誘ってもグッタリして寝込んでいる日もあった。慌てて動物病院に連れて行ったら、膀胱かどこかに腫瘍ができていると言われた。獣医には老犬だからリスクが大きいので手術もできないと言われ、僕は本当に途方に暮れてしまった。病状は一進一退が続いたけど、数ヶ月後にはサリーは立っていることも辛い状態になった。それでもこのまま何もしないと本当に寝たきりになり死んでしまうと思い、少しでも散歩をさせようと思った。今思えば僕は、なかなか現実を受け入れられずにいた。

案の定、サリーは家を出てちょっと歩いただけでよろけてへたり込んでしまった。やっぱり家で寝かせておいてあげるべきだったと後悔して、僕はサリーの方を向いて「苦しい思いをさせてごめんね。」と声を出して謝った。サリーは僕を見て返事をするように2.3回吠えたけど、この時、サリーの鳴き声が瞬時に人間の言葉に翻訳されたみたいに僕の頭の中に響いた。

「何で俯いているの?私は全然大丈夫。今日散歩に連れてきてもらって本当に嬉しいのよ!今まで本当にありがとう。」僕にはこう言っているように聞こえた。それまでもサリーとは気持ちの交流みたいなものはできていたと思うけど、こんなにダイレクトに感情が伝わってきたことはなかった。僕はそれ以上、散歩を続けることができなくて、サリーを抱きかかえて家まで帰ってきた。それから間もなくサリーは死んでしまった。ただ死ぬ直前に、僕が買ってきた最高級のドックフードを一缶ペロリと食べてから昏睡状態に入ったので穏やかな最後だったと思う。

僕は初めはサリーの死を受け入れるのが辛くて、なんでこんなひどい目に合わなきゃいけないんだと嘆いていた。まるでサリーを看取るために家に帰ってきたような気がしたからだ。でも気持ちが落ち着くにつれて感じ方が変わってきた。専門学校を卒業してもなかなか仕事が決まらずイライラして、親と喧嘩したりしてもくじけずに生きてこられたのはサリーに癒やされていたからじゃないかと思う。だから僕がいたことでサリーの晩年が少しでも楽しい時間になり苦しまずに逝けたとしたら、それはサリー対する恩返しができたことであり、僕にとっても幸せな事だったんじゃないかとそう思えるようになってきた。

話は変わるけどサリーが死んでからずっと、転生していてどこかでばったり会えたりしないかな?って考えている。犬としてでも人間としてでもいいんだけど。転生云々は基本的に信じてはいないんだけど、サリーについてはちょっと特別な思いがあるから。友達に話しても絶対に引かれると思うので、誰にも話したことはないけど。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村
エッセイ・随筆ランキング

コメント

タイトルとURLをコピーしました