煙草 タバコ 大学 屋上 涙 夕暮れ 小田急線 | ねじまき柴犬のドッグブレス

ハートに火を点けて 8 20XX/X/X 人生の夕暮れ

2023年
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・20XX年X月X日(?)

その日、僕は久しぶりにサキの夢を見た。いや本当に夢だったのだろうか?今となっては自信がない。

再び僕は大学の屋上いた。この前の夢の続きのようにも思えたが、屋上には以前の寂れた雰囲気はなく床や手すりが綺麗に舗装されていた。時間はすでに夕暮れ時に近かった。キャンパスには学生の気配がなく、休日か休暇期間中のようだった。グラウンドのすぐ側を走る小田急線の音だけがやけに響いて聞こえた。

新しい屋上には以前はなかったベンチが設置してあり、僕はそこに座っていた。すっかり変わってしまった風景に戸惑っていると、突然女性の声がした。

「お久しぶりね、唯野さん。」
声のした方を見るといつの間にか、スーツ姿の女性が僕の側に立っていた。そして丁寧なお辞儀をしてこう言った。

「まわりくどい方法を使って、呼び出してごめんなさい。あなたのいる施設のセキュリティがなかなか厳しくて、ダイレクトなメッセージが送れなかったの。」

彼女は僕が歌舞伎町でみかけたサキらしき女性にとても似ており、白いブラウスの上に濃紺のスーツを着ていた。記憶の限り、面影や声色はサキのように思えたが、はっきりと言い切れる自信はなかった。

彼女は「私も座っていいかしら?」と言ったので僕は急いで横にずれて席を空けた。彼女が座る時にフワッとミント系のとても良い香りがした。それから彼女は僕の事を品定めをするようにじっと見つめて
「だけど安心したわ。もっとおじさんになっちゃってたらどうしようかと思ったけど、まだ髪の毛も薄くなっていないしお腹も出ていない。うん、昔の面影が残ってる。」
そう言って安心したようにふっと息をついて微笑んだ。

彼女の話から僕もどうやら、現在の年齢の姿になっているようだと理解した。僕も彼女を見て戸惑いながらも「ちょっとクールになったけど、君だって今でも十分素敵だよ。」と言った。彼女は「ありがとう。」と言って静かに微笑んだ。

彼女は以前はふっくらしていた頬がこけていてシャープな顔立ちになっていた。清潔感のある服装が、知性のある洗練された大人の女性になった事を感じさせた。笑うと目尻に皺が寄り、それなりの年齢も感じさせたが肌も綺麗で、30才前後くらいの年齢に見えた。

それから彼女は「煙草を吸ってもいいかしら?」と突然言ったので僕は驚いたが「どうぞ。」と言って頷くと、スーツのポケットから電子煙草と携帯用灰皿を取り出し、目を細めて美味しそうに吸った。

「これは気持ちが落ち着くものね。昔は体が受付けなかったけど、電子だと私も大丈夫みたい。」
僕も煙草を吸いたくなり、ポケットの中を探ってみたが、なぜか紙巻き煙草とZIPPOが入っていなかったので我慢をするしかなかった。

それから少しの間、二人で黙って夕日を眺めていたが、彼女は突然、口を開いた。何かを訴えかけるようなとても切実な口調だった。

「ねえ、唯野さん、私達の人生もそろそろこの夕日みたいに日暮れにさしかかっていると思わない?これから辺りはどんどん暗く寂しくなってくる。辛く厳しい時がやってきて、その先に待っているものは、解るわよね?誰もが等しく終わりを迎え、それをただ受け入れるしかない。今はそのための準備をしなきゃいけない大切な時期じゃないかしら。」

唯野さん?なんでラクダじゃないんだ?僕はたまらず根本的な質問をした。

「ねえ、君は本当にサキなのかな?もしここが僕の夢の中なら、君は僕の潜在意識が作り出した大人になったサキのイメージという事になるよね?でもそれじゃ、あの端末に入っていたメッセージの説明がつかない。だから君は僕のイメージなんかじゃなく、きちんとした自分の意思を持った存在じゃないのかな?」

僕がそう言うと彼女は軽く頷いてから、吸っていた煙草を携帯用灰皿に押し込みこう言った。

「私は確かにあなたの潜在意識が作り上げた存在じゃないわ。ただ、今のあなたが想像している通りの姿で現れた方が良いと思っただけ、あなたを混乱させないようにね。でも逆効果だったみたい。うん、今度はよく考えてから現れるようにする、その機会があればだけど。ただ、あなたが追いかけてきたのは、ここにいる私ではないの。キドが作った偶像のようなものなの。あなたをおびき出すためにね。彼はとても危険で特殊な能力を持った人間なのよ。そしてなによりも根源的な悪意を持っている。」

「ねえ、僕だってキドが並の人間じゃ無いって事は薄々感じている。でも仮に僕を利用したとして何のメリットがあるんだ?もう若くもないし才能も財産も無い。大した利用価値はないだろう。逆に僕が今の立場を利用して恩恵を受けることだってできるんじゃないか?」

僕は少し自虐的になってそう言ってみたが、彼女は小さく首を振った。

「あなたは自分の持っている物にどれだけの価値があるか解っていない。それは一般的な尺度では測れないものなの。彼はそれが欲しくて堪らないの。そのためにとても用意周到にあなたに近づいてきた。そしてそれを気づかれないうちに根こそぎ奪っていくつもりなのよ。とても上手に、蝶が長い舌を使ってとっても甘い蜜を持つ花を吸い尽くすように。」

吸い尽くすって?彼女は一体何の話をしているんだ?

「そもそも君は本当に僕の知っているサキなのか?今は何処にいるんだ?出来れば現実の世界で本当の君に会いたい。そして、もっと別の話がしたい。今、何処でどうやって暮らしているとか今まで二人がそれぞれどんな思いを抱えて生きてきたとか、そして、えっと…」

僕がそこまで喋ると彼女は、僕の話をさえぎるように口の前にそっと人差し指を立てた。そして僕の目をじっと見つめて震えるような声で話し始めた。

「ねえ、もうあんまり時間が無いの。一刻も早くこの施設から抜け出して。今だったらまだぎりぎり間に合う。このままだとあなたは永遠にあなた自身を失ってしまう。でも奪ってきたのは彼だけじゃなかったわね。あなたは今までも自分では気がつかないうちに、色々な人から少しづつ大切な物を奪われてきた…可哀想な人。」

それから彼女は僕の手に自分の手を重ねた。とても柔らかな手の温もりが、僕の手に伝わってきた。古い記憶が呼び起こされ心が震えた。何かを思い出せそうな気がした、いつの間にか忘れていた大切な何かを。

気がつくと彼女は声を出さずに静かに泣いていた。彼女の涙は、いつの間にか降り出した雨の雫のように僕の手の上にぽつりと落ちた。僕は完全に言葉を失っていた。

それからどれくらいの時間が経過しただろうか?しばらくして彼女は落ち着きを取り戻し、取り出したハンカチで涙を拭ってこう言った。

「ねえ、ラクダ。ここを抜け出すときは注意深く慎重にやりなさい。以前のように一人で考え込んでいては駄目よ。それから煙草の空き箱はこれからは自分で捨てなさいね。もう私にはしてあげられないから。」

それは母親が転んで傷ついて泣いている子供を慰め、諭すようなとても優しい口調だった。

そこで僕は突然目が覚めた。時計を見るとまだ夜中の3時過ぎだった。僕はしばらくの間、何も考える事ができず、ベットから起き上がったまま暗闇の中で身動きもせずじっとしていた。

机の上には昨晩飲み尽くしたブランデーの小瓶とティーカップが転がっていて「ここが現実なんだよ。」と語っているように見えた。同時に、僕の手にもまだ彼女から流れ落ちた温かい液体の感触がリアルに残っていた。彼女の手の温もりから呼び起された微かな記憶とともに。

どこからどこまでが現実で夢で虚構なのか?僕にはとても判断する事はできそうもなかった。

それでも最後に彼女は確かに僕の事を「ラクダ」と呼んでくれた。そして何よりも彼女は僕だけのために泣いてくれた。そんな人間はもうこの世界のどこにも存在しない。

僕は彼女の言葉を信じてみようと思った。

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コメント

  1. より:

    7話で「サキ」と言う名前が出て来て、そう言えば、人探しが目的だった事を思い出しました。
    今回の8話では夢か現実かは分からないにせよ、これからの話の展開を示唆する事が出て来たので、これからの展開が気になります。

    • 毎回コメントありがとうございます。サキの夢は3話と8話に出てきますが、どちらもキーになる話で、またどちらも自分にとって思い入れのある話です。これから後半に入りますが、どうか最後までお付き合いください。>柴犬

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