人生の根っこ 大家族 マイルドヤンキー | ねじまき柴犬のドッグブレス

人生の根っこみたいなものについて

2023年
Pocket

どこか下町にある老舗の洋食店でも布団屋なんかでもいいんだけど、2代目に生まれて後を継ぎたかったと思うことがある。若いうちから仕事を教え込まれて、職人気質の父親から散々ダメ出しをされて、自分の人生に疑問を持って一度家を出て大学にいったりサラリーマンになったりするけど結局は肌に合わず、家に帰って後を継ぐ。先代と比べられながら、できが悪いと陰口を叩かれたり辛いこともあるだろうけど、そういうときは地元のバーに行って、幼稚園や小学校くらいから一緒にいる幼なじみの友達と愚痴を言い合って励まし合いながらなんとか乗り切って一人前になっていく。そういう人生にいつしか憧れていた。

そして幼なじみの女の子と早めに結婚して若いうちに子供を作って大家族で暮らす。ちょっと意味合いは違うかもしれないけど、一時期「マイルドヤンキー」なんて言われていた人達の生活もそうかもしれない。これは僕の想像でしかないけど、僕にとっては人生の根っこみたいなものがある生き方だ。植物は根っこがないと枯れてしまう。切り花や生け花でも水分があれば一時的には生きているけど長生きはしない。人間も同じだ。根っこから養分をもらっている。僕の根っこは何だったんだろうと考える。それはやっぱり生まれ育った地元であり、家であり家族であり学校であり、友達なんだろう。

僕の場合は、その根っこが段々となくなっている気がする。そこから養分を得たい、充電したいんだけど現実的に失われ、記憶の中でも薄れてきている。こうなることを予想して新しい根っこを探す事、作っていくことを本来はしなければいけなかったのだろう。来るべき冬を乗り切るために暖をとるものや食料を蓄えておくように。解ってはいたつもりだったんだけど、結果的にほとんどが空回りした。僕はある意味、自分でそういうものを断ち切ってしまってきたから自業自得といえなくはないのだけれど。

僕が植物だったらとっくに枯れて土に帰っていたような気がする。ただそれでも人間はなんとなく生きていくことができる。もちろん、僕は妻も子供もいないけど、今も職場や兄弟や友人など色々な人の助けを借りて生きている。それには感謝しなければいけないと思う。でもこれからさらになくなっていくであろう根っこに対して今のところ、僕はなす術がない。僕はそれなりに自分の危機的な状況を打破しようと思って色んな事をやってきたつもりだ。でも今は完全に手詰まりになってしまった。

I have no idea.

この英語が今の僕の状態にぴったりはまる。なんて言うと、まだ余裕があるように聞こえるかもしれないが、リアルで切実な問題だ。僕はこれからどこから養分をもらって生きていけば良いんだろう。全くわからない。希望や救いというものが今のところ見つからない。

経験上解ったことは、決して力づくや強引なやり方で現状を変えようともうまくいかないってことだ。待つしかない。過去に何度かあったターニングポイントがもしまだ自分の人生にやってくるなら、それを決して見逃さないように。それまでは傷ついた動物のようにじっと身を潜めて傷が癒えるのを待つ。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村
エッセイ・随筆ランキング

コメント

タイトルとURLをコピーしました