紙巻き煙草 受動喫煙 2030年 解雇通告 ヘルスケア | ねじまき柴犬のドッグブレス

ハートに火を点けて 2 2030/1/7 失業

2023年
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・2030年1月7日(月)

正月休みが明けてから、すぐに会社から呼び出しがあった。呼ばれた理由はなんとなく想像ができていた。人事部の応接室に行くと案の定、部長の段田がいつものアルマーニのスーツを着て待っていた。駐車場にBMWが停まっていたので、そうだろうなと思った。

「唯野君、今日は何で呼ばれたのかは解っているね。」
タダノというのは僕の名前だ。僕はただ黙っていたが、どう回答すべきかを必死で考えていた。
「解雇通告をするためだ。あらかじめ言っておくが君に選択肢はない。」
「何のことをおっしゃっているのか解りません。」
僕は微かな可能性にかけて釈明をすることにしたが、自分でも声が震えているのが解った。

それを聞いて段田は表情を変えず、深いため息をついてこう言った。
「在宅勤務中の事だ。君は喫煙をしていたね?就業規則で業務中は休憩時間も含めて喫煙が禁止されているのは知っていたよね?」

段田の表情からは、僕に対してどのような感情を持っているが全く読み取れなかったが、少なくとも温情のようなものは欠片も持っていない事だけは感じ取れた。また、僕の出方を見てどう対応するかを頭の中でシミュレーションしているようにも見えた。

「ましてや、国内では販売が禁止されている 紙巻き煙草だ。せめて何で電子にしなかったのかね?それならば厳重注意くらいで済んだろうに。馬鹿なことをしたもんだ。私には理解できないね。」
「紙巻き煙草のパッケージが写っていたんですか?あれは、昭和時代の物産展に行ったときに買ったレプリカで中身はただの電子煙草です。」

実際は海外の友人から送ってもらったものだったが、これが僕が考えてきた精一杯の言い訳だった。

僕がそう言うと段田は黒革張りのソファーから立ち上がり、元プログラマーとは思えないほど日焼けした顔を近づけて言った。

「いいだろう、君がそう言うなら、信じてもいい。ただし、AI判定では煙草のパッケージは87%以上の確率で本物の紙巻き煙草だという判定が出ている。部屋に漂っていた煙も含めてね。それを覆すには我々としても本格的な立入り検査をせざるを得ない。だから素直に認めてもらわないと少々面倒な事になる。」

段田は言葉遣いこそ丁寧だったが、語気には一歩も譲らないという強気の姿勢が感じられた。

段田のフルネームは段田 直人(だんだ なおと)。年齢は40代半ばくらいだったろうか。社内ではその名前と性格から陰で「ダウト」と呼ばれていた。トランプゲームの一種でカードを裏返しに出して、順番通りでないと思ったときに、「ダウト」と嘘を指摘するゲームがその由来だ。要は人の挙動から嘘か本音かを見分けるのが滅法旨い。僕は以前から個人的に好きなタイプではなかった。そんな人間が人事部長になるのもどうかと思ったが、それがきっとこの会社の社風みたいなものなのだろう。

僕はその問いには答えずに黙っていた。段田も少しの間、黙り込んで左手のロレックスをちらりと見ていた。ひょっとするとこの後に、新年の挨拶回りの予定でも入っているのかも知れない。

ただAI判定でパッケージが本物と判断された時点で、ダウトを宣告されたのも同様だった。そのため、僕は反論することは断念した。同じような立場の人が裁判をしているケースをニュースで見た事もあったが、世論は明らかに喫煙者側に同情的ではなかったし、弁護士側も不当解雇という判断については曖昧な主張しかできないでいたからだ。

「あれが本物である事は認めます。就業規則を破り喫煙をしてしまい、誠に申し訳ありませんでした。そのため退職は致しますが違法行為をした訳ではないので、その、通報とかそういう事はご容赦いただけませんか。」
僕は深々とお辞儀をして謝罪した。胸の内は情けなさで一杯になったが、今後の事を考えるとここは謝罪をして穏便に収めるしかない。小さなプライドにこだわっている場合では無いと思った。

僕がそう言うと、段田の態度は一変した。少し顔を上げてのぞき見ると、安堵の笑みを浮かべてるようにも見えた。やはり勝算はあっても裁判沙汰のような面倒は避けたかったのかもしれない。

「それは心配することはない。我々だって、これからの君の生活のことは考えているさ。残念な結果にはなってしまったが、君が素直に認めてくれて良かった。経理の方には会社都合という事にして、失業手当が近日中に受け取れるように手続きをさせておく。これがせめてもの温情と思ってくれ。」

「では、もう失礼させていただいてもよろしいでしょうか?事務手続きもあるので。」
僕は一刻も早くこの場を立ち去りたかったのでそう言った。

段田はただ頷いてドアの方を指さした。ただ帰り際に、何か言い足りない感じがしたのか「唯野君、紙巻き煙草なんて近代社会が生んだ悪しき風習なんだから、早くやめた方がいい。」と最後に捨て台詞を残していった。僕は心の中で「じゃあアルマーニやロレックスやBMWは悪しき風習じゃないのかよ。」と言ってやりたくなったが、これ以上事をこじらせたくなかったので無言でお辞儀をして部屋を出た。

2025年、WHOが「21世紀におけるヘルスケアの提言」の中に「Passive smoking prohibited」(受動喫煙禁止)を定めた事で日本でも紙巻き煙草規制法案が可決され、国内での販売数が制限されはじめた。初めのうちは、喫煙所や一部の飲食店では喫煙は可能だったが、徐々に電子煙草専用のものに切り替わっていった。

2028年には国内での紙巻き煙草の販売は完全に禁止され、店頭から姿を消した。WHOの提言とは、「受動喫煙とは副流煙により自らやその家族、また第三者の健康にも害を及ぼす愚かな行為であり、紙巻き煙草は嗜好品としての存在を決して認められるものではない…。」というものだった。そのため紙巻き煙草の喫煙は、一部の支援団体や議員活動によりまだ違法ではなく罰則こそなかったが、その行為自体があたかも非社会的行為のように見なされるようになっていた。

当時僕は、それなら電子煙草に切り替えればいいやと気楽に考えていたが、やはり紙巻き煙草の誘惑には勝てず、どうしてもやめることが出来ないでいた。ただその時には、喫煙を理由に仕事を失う事になるなんて想像もしていなかった。僕は明らかに時代から取り残されつつあった。

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コメント

  1. より:

    6〜7年後の設定で、夢の未来ではこうなっていると言うのとは違い現実感のあるストーリーのようで、見出しのサブタイトル的な日付もよりリアル感を感じます。
    今でも喫煙に関する条例などありますが、数年後にはあり得る事象と思います。それが星新一風で、この先が楽しみです。

    • コメントありがとうございます。星新一さんは小学生の頃なので、ずいぶん前の話ですがショート・ショートが好きで良く読んでいました。自分の書くものに星新一さんのテイストが残っていたと思ってくれる方がいたという事が、とても新鮮でまた嬉しかったです。余談ですが、この小説の初稿は2001年に書いた物で、設定は2010年にしていました。ところが時代が先行してしまったので、2030年という設定でリメイクしています。そのため後半はほぼ新たに書き直しているので苦労していますが、ご期待に添えるように頑張ります。今後もよろしかったらお読みください。>ねじまき柴犬

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