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やんちゃな王子のための失われた王国 外伝5-戦友-

2023年
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電話をかけると、意外な事に2.3コールであっさりと兄の声が聞こえた。

「よう、シュン。久しぶりだな。どうしたんだ?何かあったのか?」
「何かあったのかじゃないよ。さっき、母さんから留守電が入っていた。マサ兄が交通事故にあったって。怪我の具合はどうなんだい?」

「あの人から連絡が入ったか…。参ったな。一応事故にあった事は伝えたが、怪我は大した事は無いから大騒ぎするなって言っておいたんだけどな。ちょっとオカマを掘られて、むち打ちみたいになっただけだ。念のため、検査はしておいた方が良いって言われて2,3日入院はする事になったけどな。ほんとにこの忙しいときにいい迷惑だ。」


僕は怪我の程度が軽いことに安堵した。
「そうなんだ。大した事なくて、良かったよ。」
「不幸中の幸いだ。100%相手の過失だから思いっきりふんだくってやる。おかげで新車にできるし、買い換える手間が省けたよ。」

「ところで、マサ兄、今更なんだけど、聞きたい事があるんだ。」
「なんだ、金でも貸して欲しいのか?この前、大規模な設備投資をしたばかりだから今は無理だぞ。」
「違うよ、そんなんじゃない。その、俺の事なんだけど、マサ兄は子供の頃はどう思ってた?」
「どうって、何が?」
「俺の事を嫌いだったんじゃないか?」
「は?何を言ってるんだお前?仕事か家で何か辛い事でもあったのか?良いカウンセラーを知っているから紹介してやろうか?」
兄が茶化したように言ったので、僕は少し苛立った。

「俺はいたってまともだよ。一度、真面目に聞いてみたかったんだ、マサ兄の本音を。」
僕がそういうと兄は少しの間、無言になった。そして電話口からは煙草に火をつける音がした。禁煙すると言っていたが結局、まだ止められていなかったようだ。

「今さら、その事を持ち出す理由が解らないがいいだろう…。正直言うと俺は子供の頃、お前の事が大嫌いだった。親父とお袋の関係が悪くなって離婚する事になった経緯をお前は当時は何も知らなかっただろう。俺はその醜い争いごとを間近でずっと見せられてきた。時には仲裁までしてやったのに、八つ当たりまでされた。その頃、俺はまだ中学生かそこいらだぜ。子供にそんな事をさせるなんてふざけんなと思ってたよ。それでも二人ともお前には、そんな姿を見せた事は一度もなかった。良い顔をしたかったんだろうな、さぞやお前が可愛かったんだろう。でも、じゃあ俺の存在は何なんだろうって思った。当時はずいぶん嫉妬してたよ、お気楽に生きてたお前にな。」
兄は当時の事を憤りを隠さずに語った。

「やっぱり、そうだよな。でも俺からしたら、父さんと母さんが離婚してすぐに家を出られた兄貴が本当に羨ましかった。」
「お前には言ってなかったが、俺は自ら進んで家を出たわけじゃない。離婚してすぐに、お袋が新しい男を連れ込んだだろ?もう大人になってた俺は邪魔だったんだな、きっと。その時に、あの人は俺に向かってあっけらかんとこう言ったよ。「もうこれからは一人で生きて行けるわよね。」ってな。実際は追い出されたも同然だった。」

「そうだったのか、それは知らなかった…。そんな非道い事を言われたんだ。」
「しかもお前は、あの人のお相手とも要領良く付き合ってたよな。それも気に入らなかった。俺は全く合わなかったからな。」

「悪い人じゃなかったし、俺の事をずいぶん気にかけてくれてたからね。でもマサ兄も知っての通り、途方もなく感覚がズレてたから、とても本音で話せるような人じゃなかった。それに俺だってその頃は中学生だったから、上手く付き合っていくしかなかったんだ。」
僕は精一杯の釈明をしたが、それでも兄の言葉は僕の心を深く突き刺した。

「シュン、俺もお前の立場だったらそうするしかなかっただろう。俺は全てを知っていたから、心の準備ができていた。家を追い出された時には高校を卒業していたから、なんとか自力で生きていく事もできた。でもお前は何も知らされていなかったからな。ある日突然、見ず知らずの人を『今日からこの人が新しいお父さんですよ。』って言われて、受け入れられる奴なんているはずもない。」

「あの頃の俺は、割と一生懸命やってた勉強も部活も辞めて、ひたすら友達と遊び呆けてた。もう何もかもが無意味に思えてきてたんだ。表面的には何事も無かったように装っていたけど、内面はグチャグチャだった。もちろん友達や一部の先生は、俺がおかしくなってた事に気づいてたよ。でも母さんは全く無関心だった。登校拒否やグレたりはしなかったから、放置されていたのかもしれないけどね。その時に母さんは結局、自分の事にしか関心が持てない人なんだって悟ったよ。だからもう、信じることも頼ることもしないようにしようと思って生きてきた。」
兄に話しているうちに、急に胸が痛み息苦しさを覚えた。あの頃の感情が蘇ってきたからだろう。

「そうだろうな。そう思うようになってからは、逆にお前には同情するようになった。ひょっとしたら残されたお前の方が、俺より深い傷を負ってたんじゃないかってな。変な言い方だが俺たちは、いわば戦友なんだ。理不尽で無責任で自己中心的な親達に振り回されて、葛藤してトラウマと闘いながら生きてきた。だからお前に対するわだかまりはもう無い。戦友を悪く思う奴なんていないだろう?」

戦友?マサ兄はあの出来事を戦争のように感じていたのか?
「ところで、お前は俺の事をどう思っていたんだ?」
兄に突然そう言われ、僕は戸惑った。
「そうだな…正直、俺もマサ兄にコンプレックスを持っていた。同じ遺伝子を持っているはずなのに何でこんなに違うんだろうって。でもある時点からはもう手の届かない、次元の違う存在になってきて、マサ兄みたいにはなれないなって諦めがついたよ。」

「そんな気はしていた。でもな、俺に言わせればだ、俺とお前に能力差なんてほとんどない。違いがあるとすれば明確なビジョンと計画性を持っていたかどうかだ。それと一番大事なのはエモーショナルな部分だ。要はどれだけ自分がそうなりたいかっていう気持ちが強かったかって事だよ。」

「マサ兄、【ひまわり】は【シュロの木】になりたいと思ってもなれないんだ。」
僕は思わず、王子の物語からの引用を兄に話してしまった。
「…それはどういう意味だ?俺が【シュロの木】でお前が【ひまわり】か?」
「いや、変な事を言っちゃってごめん。今のは忘れてくれ。」
僕は思わず兄に王子の話をしてしまった事を後悔をした。

「そういえばお前は昔からそういう比喩が好きだったなぁ。まぁいい。仮にお前が【ひまわり】だったとしたら【シュロの木】なんかになる必要は無い。ただ、だとしたらお前は今まで本当に突き詰めて【ひまわり】としての努力をしてきたのか?そして【ひまわり】である事に誇りを持って生きてきたのか?もしそうなら、俺に対してもうコンプレックスなんて持つ必要は無いよな。」

僕がその問いに対して答えを返せず黙っていると、兄の方から話を切り上げてきた。

「さて、この話はもう終わりだ、電話で話す事でもないだろ。時間があるときに、俺のオフィスに遊びに来い。俺の秘書は自慢じゃないが、美人揃いだから目の保養になるぜ。まぁ、それはいいとして地下に小洒落たバーがあるんだ。酒でも飲みながらゆっくり話そう。でもな、今度会う時はお前とはもっと他愛の無い馬鹿話がしたいな。確かにお互いに傷は残っているし、それは一生消えることは無い。時々、古傷が痛むことだってあるだろう。でも戦争はもうとっくに終わってるんだからな。」
兄はどこか楽しげにそう言ったが、僕は理由の解らない漠然とした寂しさを感じた。

「俺の家で飲むのはどうかな?颯太も会いたがってると思うから。」
「それは遠慮しておく。俺はどうもアットホームな雰囲気が苦手でな。それで仕事に没頭しすぎて呆れて女房も子どもを連れて出て行っちまったんだけどな。それと美穂さんは、俺に会うと緊張するのかマシンガンみたいに喋りかけてくるから、あんまりお前と話ができないだろ。颯太は可愛いと思うし良い子なんだが、どうもお前が二人いるみたいな感じがして調子が狂っちまうしな。」

「そんな風に思ってたのか、知らなかったよ。じゃあ家はやめておこう。近いうちにマサ兄のオフィスに行くから退院したら教えてくれないか?」
「ああ、また連絡するよ。美穂さんと颯太によろしく伝えておいてくれ。」
「解ったよ、お大事に。」

僕はそう言って電話を切った。それからリビングに行くと、美穂はもうすでにドラマを見終ってリビングのテーブルの拭き掃除をしていた。
「ずいぶん、遅かったわね。部屋で何をしていたの?」
「兄貴と電話していたんだ。どうも交通事故にあって入院しているらしい。」

「交通事故?大丈夫なの?怪我はどの程度?」
美穂は拭き掃除の手を止めて、目を見開いて聞いてきた。
「オカマを掘られて、軽いむち打ちになったらしい。でも検査入院するだけだから2,3日で退院できるそうだ。」
それを聞いて美穂は安堵したようだった。

「そう、大したことなくて本当に良かったわ。お大事にしてくださいって伝えておいてね。」
「解った。伝えておくよ。」
「じゃあ、私は先に休ませてもらうわ。残業、お疲れ様。おやすみなさい。」
「うん、おやすみ。」

僕はそれから冷蔵庫からおかずとご飯を出してレンジで温めて食べようと思ったが、すっかり食欲はなくなっていた。おそらく兄に言われた一言がまだ心に引っかかっていたからだろう。
『お前は今まで本当に突き詰めて【ひまわり】としての努力をしてきたのか?そして【ひまわり】である事に誇りを持って生きてきたのか?』

自分なりに精一杯の努力はしてきたつもりだった。でも、確かに僕は何者かになりたいという気持ちを強く持った事は無かった。兄と同じ境遇にありながら、漠然とそこから逃げ出したいと思っていただけだ。

当たり前の事だが現実とフィクションは全く別物だ。兄と話してみて、王子の物語は颯太と繋がりたいという想いと同時に、おそらく王子に対する憧憬から生まれたものだと気づかされた。もし当時の僕にアリゼのような勇気と行動力があれば、今の人生は全く違ったものになっていたかもしれない。それが幸せだったかどうかは別として。

僕は食事はそこそこに、浴室へ向かいながら物語の締めくくりを思い描いていた。それは偉大なる豪商、イルファンのその後の命運についてだ。

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