give Take 幸せの条件 | ねじまき柴犬のドッグブレス

giveとtakeの生き方について

2023年
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僕はgiveとtakeでいうとどちらかというとtakeな生き方をしてきた。4人兄弟の末っ子に産まれたせいだろうか?おっとりしているようにみられたのか、人の世話をするより、世話をしてもらう機会の方が圧倒的に多かったと思う。またそのせいか人をもてなすと言う事が苦手だった。

例えば妻の誕生日などに初めのうちはプレゼントを贈っていたが、そのうちに何も贈らなくなった。何が欲しいのか解らないのに、こちらの考えでプレゼントをしても喜ばれないんじゃないかと思ったからだ。もちろん趣向も違うので考えるのがすごく面倒だったせいもあるけど、わざとらしい感じも嫌だった。今だったら、何が欲しいかを事前に聞いておいて、一緒に買い物に行ってあげれば良かったと思う。でも残念ながら当時はそこまで気が回らなかった。逆に妻はgiveな事がとても好きだったので友達だか知人だか解らない人がたくさんいた。そういう意味では本当に真逆だった。

それでも色々あって反省して、自分を変えたいと思い、自己啓発本を結構読んでみた。どの本にもgiveの生き方をした方が幸せになれると書いてあった。ただ実践してみて、生まれ持った気質ってそう簡単に変えられるもんじゃない事がよく解った。自然とgiveの生き方が出来ている人もいるが、そういう人はgiveをして人に喜んでもらう事が好きだからやっている。僕はtakeの人間として育ってきたせいか、どうしてもぎこちなくなる。また、何をしてあげたらいいかを考える事自体すごく疲れる。もちろん感謝の念を持って、何かしてあげたいと思う事もあったけど、いつもワンテンポ遅れる。周りから見れば本当に気が利かない。

世話好きな友人がいて「こうしてあげようか?」とたまに望んでいない事を言われて、丁重にお断りをすると「えっ」って顔をされる時がある。心苦しいけど、友達だからあえて断る。それでギクシャクした事もある。また、そういう一般的なgiveとtakeのお付き合いができないと自然と友達は減っていく。やむを得ない。

色々考えてgiveとtakeとかを考える事自体が面倒になった。giveしたいときにgiveすればいい。余計なお世話だと思ったら丁重にお断りすればいい。本当のgiveの意味を勘違いしている思う人もいるだろう。僕は天邪鬼だから確かにそうなのかもしれないが、「giveな人生=幸せ」っていう図式があまりにも一般的になりつつあるので、ちょっと抵抗してみたかった。

giveが多い人生だけが幸せの条件なんて事はないよね。もしそうなら僕は不幸のままでも良いかもしれない。ちょっと極論かもしれないけど。

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