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やんちゃな王子のための失われた王国 11-王子と父親-

2023年
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僕は無意識のうちにリビングを出て行く美穂に対して深々とお辞儀をしていた。それから寝室に行って寝そべってみたが、思った通り睡魔はなかなか訪れなかった。それは僕自身が、この物語の結末に終止符を打てていなかったからだろう。きっと僕も王子と同じように【お国】へ行かなければこの物語は終わらないのだ。僕は眠るのは諦めて、王子のための最後のストーリーを考えはじめた。

まずはアリゼが【お国】へ辿り着いた時の話だ。

アリゼは約1年の航海を終えて【お国】へと辿り着いた。かつて自分が生まれ育った【お国】が目の前にあった。長い間、心の片隅に大切に取っておいた王子だった頃の思い出が去来し、胸が熱くなった。

『いいか、今夜は都合良く満月だ。次の満月の夜にお前を迎えに来る。それまでに心の整理をしておけ。言っておくが出歩くのは最小限にしておけよ。盗賊がどこ潜んでいるか解らないんだからな。』
兄のテリュースは興奮冷めやらぬ弟に忠告した。

『解ってるよ、兄さん。それだけ時間があれば十分だ。愚かな弟のわがままを聞いてくれて本当にありがとう。』
アリゼはテリュースの手を固く握りしめ、感謝の言葉を述べた。

『そんなことはどうでもいい。それより、絶対に生きて帰って来いよ。そうしないと俺は、俺はルイカさんに顔向けができないんだ。』

テリュースは弟をじっとみつめ、懇願するようにそう言った。アリゼは感謝の笑みを浮かべながら、兄の言葉に何度も頷いた。

そして、アリゼは【お国】の土を踏んだ。貨物船で逃亡して以来、すでに15年の歳月が経過していた。兄の言った通り、街の風景は激変し廃墟と化していた。港の近くにあった商店や家々は焼け焦げ、人の住んでいる気配は全くなかった。時折見かける野良犬とカラスたちが、今では自分たちが街の主であるかのように席巻していた。変わり果てた街並はアリゼの心を痛めたが、それでも体は自然と以前お城のあった場所へと向かっていた。

次の満月の夜、テリュースは約束どおり港へ迎えにきたが、そこにアリゼの姿はなかった。時間の許す限り、周辺を探したが見つけることはできなかった。テリュースはその時だけは神を憎みそして嘆いた。今まで何一つ祈ることなく、自分の力だけを信じて生きてきた。その自分のたった一つの願いすらも叶えてもらえないのですかと。

そして翌朝、やむを得ずテリュースは【お国】を離れて次の出港地へと出発した。出港前に、たった一人のかけがいのない弟のために、港に花束を手向けて。その後、テリュースが【お国】を訪れる事は二度となかった。

アリゼが【お国】へと旅立ってから、3年の歳月が過ぎた。これが最後のストーリーだ。

島は少しづつ活性化していた。港は商いをおこなう人、積み荷を運搬する人々のかけ声と活気で満ちあふれていた。アリゼが礎を作った他国との交易が軌道に乗り始めていたからだ。バハリもその波に乗り、漁で取れた魚や自家農園で栽培した野菜や果物を売りに来ていた。そんな時、見慣れた人影が目の前を通り過ぎていったような気がした。

『…まさかな、人違いか。』

バハリは気になって周囲を探してみたが、人混みに紛れてしまいその人影を見つけることはできなかった。

その頃、ルイカは自家農園で畑仕事に精を出していた。熱帯での農作業は過酷なものだったがその分、暮らし向きは良くなっていたのでやりがいはあった。息子のライニは3才になり、すっかり成長して作物の水やりや雑草取りの手伝いまでできるようになっていた。その時にライニは何かに気づいたのか、不意にルイカの袖を引きこう言った。

『ねえ、母様。今ね、僕、お話に出てくる王様みたいな人が丘の上を歩いているのを見たんだよ。ヒゲもじゃでリッパなツエをついて歩いていたんだ。』
ルイカはそれを聞いて思わず吹き出してしまったが、ライニの言ったことは否定せず、優しく言葉を返した。
『あら、そう。王様を見られるなんて滅多にないわよ。きっと良い事があるわね。』

ルイカがそう言った瞬間、ライニが言っていたその王様らしき人物が自分達のいる方へヨロヨロと歩いているのが見えた、髭もじゃでガリガリに痩せ細って、杖をついて足を引きずりながら歩いているその姿を見て、ルイカは言葉をなくした。

『ねぇ、母様、あの人だよ。でもよく見るとボロボロの服をきているから、王様じゃなくて乞食みたいだね。』
ライニはそう言って笑ったが、ルイカはライニの手を握りしめ、しっかりとその小さな瞳を見つめながらこう言った。

『いいえ、ライニ。あの人は王様でも乞食でもないの。王子様なの。』
ルイカはライニの手を引き、我を忘れて側へ駆け寄った。

彼はルイカの姿を見ると、髭もじゃの顔をクシャクシャにして微笑んだ。
『ただいま。約束通り帰ってきたよ、ルイカ。思ったより遅くなっちゃってごめんな。』
それは、過酷な長旅で変わり果てたアリゼだった。ルイカはボロボロと涙を流しながらアリゼを強く抱きしめた。アリゼはその場で力なく座り込んでルイカに言った。

『ごめんな、本当にごめんな。俺は本当に馬鹿だったよ。【お国】にはもう何にも残っちゃいなかった。もちろん、昔遊んだ森や丘も少しは焼け残っていた。でもちっとも懐かしくなんてなかった。船を降りた時からもう、君や、ライニやバハリにずっと会いたくて仕方なかった。でも、盗賊に襲われて足を痛めて動けなくなって兄さんの船に乗れなくなって、それで小舟に乗って別の島までなんとか辿り着いて…』

『もう、話さなくていいわ。もう何も…。ねぇ私はあなたを【つなぐこと】ができたの?』
『僕がここに戻って来られたのは君のおかげだよ。僕は君が繋いでくれた糸を辿ることで帰って来られたんだ。そしてようやく、過去の自分と決別することができた。ありがとう。君は本当にすごい人だ。』

ルイカはもうそれ以上何も話す事ができず、ただただアリゼを抱きしめ、そして頷いていた。そしてアリゼも嗚咽をしながら、ルイカを抱きしめていた。

『ねえ、母様、なんで泣いているの?この人は一体誰なの?本当に王子様なの?』
きょとんとした顔でライニが尋ねた。

ルイカは涙を拭いながらライニの方を向いて、小さく首を振った。
『いいえ、違うのよ、この人は王子様だった人なの。でも今は、あなたの父様よ。』
『父様?僕にも父様がいたの?』
『ええ、そうよ。この人があなたの父様なのよ。』

ルイカはライニに問いに何度も頷きながらそう答えた。

アリゼはすっかり成長したライニを見て目を細めてこう言った。
『ライニ、大きくなったね、本当に大きくなった。僕を君の父様として認めてくれるかい。そうしたら僕はもうどこにもいかない。これからはずっと君達と一緒だ。』

ライニは訳もわからずその言葉を聞いていたが、ルイカがずっと泣き続けているのを見て、思わずもらい泣きをしていた。

その時、バハリが港から戻り駆け寄ってきた。バハリは息を荒げながら、問いかけた。
『アリゼ、本当にアリゼか?帰ってきたのか?』
アリゼは、疲れ切った体をむち打って立ち上がり、深々とお辞儀をしてバハリに謝罪した。

『僕は大切な家族に本当に申し訳ないことをしてしまった。【お国】に行ってみてバハリに言われた事がよくわかったよ。何者かになることを怖れる者は、何者にもなれない。僕は、心のどこかで王子ではなくなり、島の人間になってしまう事を怖れていた。でも今は違う。僕は心からこの島の人間になりたいと思う。そして生涯、ルイカの夫でありたいし、ライニの父様でありたい。それを怖れることは二度とないと誓う。僕を許してくれるかい?』

バハリはしばらくの間、無言でアリゼの言うことを聞いていたが、突然口を開いた。
『許してやらなくもないがな…。ただ一つだけ俺の言うことを聞け。それが条件だ

『いいよ、僕に出来る事ならなんでもする。』
アリゼが不安気に言うと、バハリは以前のように黄色くなったボロボロの歯をむき出しにしてニカッと笑ってこう言った。
『元気になったら、お前を2.3発殴らせろ。それでチャラにしてやる。』

『いいよ、それくらいで済むなら安いもんだ。』
アリゼは思わず笑ってしまった。それを聞いたルイカもクスッと笑い、バハリの滑稽な顔を見てライニも大声で笑い始めた。
「ああ、僕はこの瞬間のために帰ってきたんだ。」
アリゼはそう思いを巡らせながらも極度の疲労と暑さのため意識が朦朧とし始め、ついに膝をついて倒れ地面にうつ伏せになった。

『これは大変だ。早く家に連れて行って休ませないと。ルイカ、先に家に戻って水を用意しておいてくれ。俺がこいつを背負って行くから。』
バハリがそう叫ぶと、ルイカは頷いてライニの手を引いて急いで家まで駆け戻っていった。

バハリに背負われながら、アリゼの中では王子として生まれてから、この島に再び戻ってくるまでの事が走馬灯のように駆け巡っていた。そして意識が混濁している状態で、アリゼは何かを繰り返しつぶやいていた。
『ん、何だ?お前今、何て言ったんだ?』
バハリが尋ねると、アリゼはこう繰り返した。
『さようなら、そして、ただいま。』

僕は美穂が寝室に入って来た時に気づかれないように壁の方を向いて寝そべっていた。気がつくとベッドの中でアリゼと同じように嗚咽をしていたからだ。大人になってから、こんなに何度も涙を流したことは記憶になかった。そして、今日触れた颯太の柔らかいおでことさらさらの髪、まだ汚れを知らぬ小さく温かな手の感触の事を思い出していた。僕はあの無垢で、か弱きものを守っていかなきゃならないんだ。

「ごめんな、颯太。パパももう何者かになることを怖れないよ。だから僕を君の父様として認めてくれるかい。」
王子の物語が終わりを迎えても、僕の嗚咽が止むことはしばらくなかった。

-完-

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