雪 地下鉄 小説 | ねじまき柴犬のドッグブレス

ピース(断片)を探して(最終章)

2023年
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「うーん、口で説明するのはなかなか難しいわね…。できるかどうかわからないけど試してみるわ。」
そう言ってから、彼女は軽く深呼吸をしてゆっくりと僕の手に自分の手を重ねた。小さいけれどとても柔らかく、温かい手が僕の手を包んだ。そして目をつぶってから僕の耳元で囁いた。
「タダノくんも目を閉じて。」

目を閉じると、突然、爽やかな春風が梅の花の香りを運んできた。そして家族で梅園にピクニックに行った時のイメージがフラッシュバックした。初春の陽光の中、父が兄と談笑しながら歩いていた。まだ小さかった僕は母に手を引かれて、父と兄に置いて行かれないように一生懸命歩いていた。汗をたくさんかいたが全然辛くはなかった。むしろ、家族みんなでこんな風に歩いていることが楽しくて仕方がなかった。そしてまだ若かった母の手の感触がとても柔らかく温かくて心が躍った。

その後に、朝の光がカーテン越しに差し込み、宙に浮いた塵やら埃やらが反射してキラキラしているイメージが現れた。その日は珍しく父が家にいて、家族全員そろって朝食を食べていた。父と母はお互いにほとんど口を聞かず、なんとなく戸惑っているように見えたが、それでも母は黙々と料理を作り続け食卓に並べて、父のためにコーヒーを淹れていた。僕は「ぽかーん」としてその光景を見ていたが、母から早く食べなさいと注意されて、ようやくトーストを口にした。父はNHKの朝のニュースを熱心に見ていたし、兄はひたすら母の作った料理を食べて続けていた。何か特別な事があったわけではない。でもそこには、何かぼんやりとしているけど暖かな空気があった。忘れかけていた懐かしい日曜日の匂いがした。できればずっとこの空気に浸っていたい、この匂いの中にいたい、そう思った。その時、僕は確かに何かに守られていたし、そこには僕の居場所があった。欠けていたピースが埋められていくのを感じた。

「暖かくなったらお花見にいこうか。」
彼女の声で我に返った。いつの間にか彼女は手を離し、席を立っていた。彼女の降りる駅に着いたようだった。電車を降りた後、彼女はドア越しに手を振ってくれたが、僕はバッテリーが切れたロボットのように体が硬直してしまい、ただ頷くことしかできなかった。なぜ、あんなことができるんだろう?これが繋がるっていうことなのか?混乱は収まらず、あやうく降りるべき駅を乗り過ごすところだった。

地上にある私鉄のホームに出ると、驚いたことに彼女の言うとおり外は本当に雪だった。とても細かな粉雪だったけど視界が遮られるほどの勢いがあり、それはまるで僕の中の真白なピースがバラバラに砕けて宙に舞っているかのように見えた。

彼女が見せてくれたのは、すでに失われてしまった古くて温かい夢だった。もうおそらくは二度と戻ってこないものだ。心の中のピースはいつ埋まるかわからない。冷たい外気に触れているうちに僕は徐々に現実に引き戻されていった。それでもあの時、僕と彼女の意識は確かに繋がっていた。いつか僕にも2重の闇を抜けて、柔らかくて優しい光の粒子を感じられる時がやってくるのだろうか。

彼女は「暖かくなったらお花見にいこうか。」と言っていた。それがただの社交辞令だったのかデートのお誘いだったのかどうかわからないけど、思い出すとホワホワとした温かさに包まれた。

そうだよな、放っておいてもこの雪もいつかは止んで春が来て花は咲き乱れる。蒸し暑くて寝苦しいけど心躍る夏、清々しいけど何かもの悲しい秋、骨身にしみる寒い冬がやってきて、雪がまた降りしきる時もあるだろうけど、やがて春はまた訪れる。

僕のピースとは全く無関係に季節はまた巡っていく。

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