ボーダー 演劇 バンド 貧乏 失望 挫折 レゲエ | ねじまき柴犬のドッグブレス

ボーダーレス

2024年
Pocket

僕が二十歳くらいの頃、半同居生活をしていた3人でゲラゲラ笑いながらも、むさぼるように読みふけっていた漫画があった。それがボーダーだ。

ボロアパート「月光荘」の家賃3千円の便所部屋に住む無職の中年男・蜂須賀。同じく無職で彼をセンパイと呼ぶ世慣れた青年・クボタ(久保田洋輔)と、彼らに触発された東大志望の浪人生(のち合格)・木村(木村健悟)の月光荘の住人3人が巻き起こす騒動を描いた物語。自分たちから見て「あちら側」と称した世界(コマーシャリズムやマーケティングに支配され、疑問を持たない普通の人々の世界)と「こちら側」との境界線上を行く者という意味で「ボーダー」という生き方を選ぶ蜂須賀たちを、時にリリカルに、時にはコミカルに描く。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 

※まさかめちゃコミで出ているとは…。

【1話無料】迷走王 ボーダー - めちゃコミック
バブル景気の真っ只中。羽振りのいい男たちと、派手に着飾る女たち。誰もがそれなりの金を持ち、眠らない街は華やいだ、そんな時代…。そんな中、家賃三千円だと言う住まいは、なんとアパ...

予備校をやめて上京してきた高校時代の友人が僕のアパートに転がり込んで来たのは、僕が大学に入って一人暮らしを始めて間もない頃だった。当時僕が住んでいたのは、家賃3万円、風呂、トイレ共同で4畳半一間しかないボロボロのアパートだったから、窮屈極まりなかったが断ることもできなかった。

彼はバンドマンを目指して状況してきたが、楽器もなくバンドを汲むメンバーもいないので、とりあえず小劇団に入って役者をやり出すと言い出した。当時僕も大学演劇サークルに入っていたが、2年になったときに突然、活動を休止してしまったので、僕も彼に誘われるがまま、その劇団に入った。今思えば、それが大きな過ちだった…(>_<)

その劇団は唐十郎とかをやっている系統のアングラな劇団だったが、毎週あるレッスンと飲み会のおかげで定期的なアルバイトができなくなった。僕は当時、家賃しか仕送りを貰っていなかったので、日雇いでアルバイトもしなければならず必然的に大学にも行けなくなった。そのうちに劇団で知り合った脚本家を目指している友人も転がり込んできて、3人での半同居生活になり、まるで家族のように暮らしていた。

僕が夜中にアルバイトから入ってくると、彼らは窓から勝手に部屋に入り、よく酒盛りをしていた。初めは僕が一時的に彼らを養っていたようなものだが、それに限界が来るとそれぞれが日雇いで働くようになり、その日当を3人で分け合い食費や煙草代に充てていた。その頃にはお互いにお金を貸し借りしているという感覚すらなくなっていた。ただその日、日銭を稼いだ者の収入で暮らしていた。だから自分の財布に幾らお金が残っているなんて意識もしなくなっていた(千円入っていることも珍しかった)。僕の家に飽きると、それぞれ住んでいた(彼もアパートをようやく借りた)池袋と笹塚のアパートで行き交うようになった。その状況があまりにもボーダーの状況に似ていたから僕らはのめり込んだのかもしれない。

当時の食生活といえば、実家から送って貰った米とカップ麺が主食。卵かけご飯をよく食べたが、何も無いときには、素麺にケチャップをかけて食べた事もあった。そんなものお腹が空いていても美味いはずがない(^_^;)煙草も頻繁に吸っていたが、お金が無くてしけモク(一度吸った煙草)をよく吸っていた。灰皿にしていた缶コーヒーから溢れていたものを取り出したので誰が吸ったか解らない…今考えると気持ち悪くて仕方が無いが(>_<)、当時は全く気にならなかった。

初めの頃は、大学にも失望感を持っていたので新鮮だった。過去の自分を捨てて新しい自分に生まれ変わるための通過点のような気がしていた。大学なんてやめちゃってもいいかなと思うようにもなった。それでも、劇団の演出家がレッスン料を自分の生活費に充てている事が解ったり、男女関係のもつれが原因で揉め事が起こって解散することになり、それを機に僕は生活をリセットする事にした。その頃にはそんな生活に心底うんざりしていたからだ。

それから僕は実家に帰り、真面目にとは言わないまでも大学に通い始めた。高校の友人は錦糸町のコミックパブで働くようになり、劇団の仲間とバンド活動を始めた。もう一人の友人は僕が大学で自主的に始めた演劇サークルで脚本を書いて公演まで行ったが、打ち上げで散々騒いだ次の日に突然、何も言わずにいなくなった。借りていたアパートはいつの間にか引き払っており当時は携帯電話もなく、連絡の取りようがなかった。あれ以来彼には一度も会ったことはない。

高校の友人とはそれからも10年近く付き合いはあったが、会う度に住んでいる世界が変わっていくのを感じた。「お前は期限付きボーダーだ。自分は予備校をやめて退路を断ったんだ。」とよく冗談とも本気とも取れるようなことをよく言っていた。初めの頃は、それに対して自分の中途半端さに引け目を感じていたがやがて「結局、それもお前の勝手だろう。」と強い抵抗感を持つようになり関係も疎遠になってきた。

僕は元々アニメが好きで声優になりたくて、その基礎を学ぶために劇団に入ったのだが彼や劇団の演出家には「声優なんて役者として目が出なかった人間がやっている仕事だ。」と言われ否定され続けていた。当時はその言葉に感化され志すのをやめてしまった訳だが思い出すと、とても恥ずかしくなる。

あの頃は自分を否定するところから始めないと、当時僕が持っていた殻のようなものは破れないという気がしていた。これはそのための通過点みたいなものだと思い込んでいた。それでも今は、後悔している。僕は他人になんと言われようとも自分がやりたいことをやるべきだったんじゃないかと

擦り切れるほど読んだボーダーは何年かして古本屋に売ってしまった。もう当時を思い出すようなものを手元に置いていたくなかったからだった。「あちら側」とか「こちら側」なんて2極的な考え方は面倒くさくなったし、どうでもよくなっていた。

それでもボーダーで蜂須賀達が近所に花見に行ったときに、あまりにもお金が無くて、地面に落ちている桜の花びらを売れないかどうか悩んでいるときに「未来あるのかな…」と久保田が呟くがあるが、僕はあのシーンを今でもよく思い出す。

当時の僕達は部屋にいるとき下らないことを言い合って笑い転げているか、黙っているかほぼどちらかだった。プロの俳優になりたいとか脚本家になりたいとか具体的な目標や夢みたいな話をしたことはほとんどない。その全然前の段階でもっと漠然とした不安と恐怖を感じている沈黙、その時間と重なって見えたからだ。

ボーダーの後半では蜂須賀達が大金(3億円だったかな?)を手に入れて、東京ドームでウェイラーズとライブを行う。前半の極貧時代からは大きな転換を迎えた。僕は一時期、それを思い出しながら、社会人になってからもボブマーレーのライブをよく聴いていた。そう考えると自身の人生に与えた影響は大きかったような気もする。

何か自慢できるような話でもなく、それほど笑える要素もない話なんだけれど、移住先を探して以前住んでいた街に行ったときに当時の記憶がフラッシュバックして、どこかに書き残して起きたくなったのかもしれない。

ふとあの頃に、疑似ボーダー体験をしていなかったら、僕はどうなっていただろうかと考えるときがある。結果はどうあれ、望み通りに声優を目指していただろうか?あるいは途中で挫折して公務員でも目指していて、バブル期の影響を受けてありきたりな恋愛をしてそんなに美人では無いけれど温厚な相手と結婚して今頃、子供の学費や家のローンに悩まされていたかも知れない。いや、どうかな?自分の性格からするとそれも怪しい。

社会から孤立して実家に戻って引きこもりになっていたかも知れないし、NPO法人の紹介でどこか地方都市に移住して同じような境遇の人達と農家の手伝いでもしていたかも知れない。

少し大袈裟な言い方をすると、あの時に僕はそれまで大事にしていた何かを捨てて、引き換えに何かを手に入れた事は確かな気がする。糧を捨てて、鎧と剣のようなものを手に入れたのかな?もう少しマシな方法があったかもしれないけど、若い頃の選択肢っていうものはありそうでそうそうないという事が今は良く解る。

何はともあれ、僕は今日もしぶとく生き続けている。

にほんブログ村 小説ブログ エッセイ・随筆へ
にほんブログ村

コメント

タイトルとURLをコピーしました