母の危篤 美空ひばり 川の流れのように | ねじまき柴犬のドッグブレス

母の危篤-川の流れのように-

2023年
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今日、出社直前に母が危篤になったと兄から連絡があった。そのため、急遽仕事を休んで母の入院している施設まで駆けつけた。横浜から埼玉の春日部まで行くのに、2時間半かかったので心配だったが幸い母はまだ生きていた。着いた直後は意識も朦朧で今にも死にそうな状態だったが、酸素吸入を繰り返している内に回復してきてなんとか一命は取り留めた。

施設に入ったのは昨年末だったが、この数週間での衰弱ぶりは激しかった。当初はまだ家を開けていると泥棒に入られやしないかとか、施設の食事が美味しくないだとか言えるほど元気があったが、今はもう食事を取れていないので頬が痩せこけて以前の母の姿は見る影もなかった。腎臓が機能していないので点滴を打っても水分を体内に出すことができない状態なので水分も栄養補給もできず、医師の見解では数日内しかもたないだろうということだった。本当に母の死が近づいている事を実感した。

僕には兄が3人いるが久しぶりに全員一同に会した。それぞれがベットサイドで母にお別れの言葉を言った。僕はむくんで真っ黒にうっ血してしまった母の手をさすりながら、母が好きだった美空ひばりさんの曲を聴かせてあげた。「川の流れのように」や「愛燦々」が入っているベスト盤だ。曲を聴かせるとそれまで身動きも出来なかった母は突然、曲に合わせて指揮者みたいに手を動かし始めた。とても小さくゆっくりした動きだったけど。まぶたからは涙が少しこぼれそうになっているように見えた。それから、とても小さな声だったけど僕の耳元で確かにこう言った。「まだ死なないからね」と。

僕は母がまだ生き続けることに執着がある事に驚いた。母はもう90歳になる。一昨年に配偶者である義父がなくなり、昨年に飼っていた猫も高齢のため寿命で死んでしまった。もう未練はないだろうと思っていたから。しきりに家に帰りたいと言っていたから、まだ家のことが気になっているのだろうか?まだやり残したことがあるんだろうか?残された子供の僕たちのことを思ってのことなんだろうか?母の心境を推し量ることは難しい。でもそんな事はどうでもいいのかもしれない。僕はその言葉を聞けて様々な思いがよぎりはしたが、やっぱり母にまだ生き続けたいという意思があることが嬉しかった。

明後日にまた母の施設に付き添いに行く。その時まで母に生きていて欲しいと願う。できればもう一度母に、美空ひばりさんの歌を聴かせたいあげたいから。

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