先生 子供 塾 泣く | ねじまき柴犬のドッグブレス

僕が先生と呼ばれていた頃

2023年
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僕は大学を卒業してから1年だけ学習塾の先生をしていた。

その理由は、前年の夏休みにカナダにホームステイをしていたことだった。カナダのトロントに母方の親戚がいて5週間くらい滞在をした。その時に日系人の集まりみたいなものが定期的にあって、現地の子供達とバーベキューをしたりビーチバレーをしたりして過ごし楽しかったので、子供と接する仕事をやってみてもいいなと思ったからだ。実はこれが安易な発想だったと後に気づく訳だけど。ホームステイというとずいぶんお気楽な学生時代を過ごしていたように思われそうだけど、内情は将来について悶々と悩んでおり、どうしたらいいか解らなくてカナダに行ったようなものだった。ともかくその時は何か一縷の望みみたいなものが見つかった気がしていた。

卒業間近に就活を始めた割に就職はトントン拍子に決まった。当時はまだバブルが続いていたせいかもしれない。仕事は週休2日じゃなかったし一人暮らしも始めたばかりで大変だったけど、初めのうちは子供と接して勉強を教えるのが楽しかった。

ただ教職もなく、家庭教師もしたことがなかったので授業の出来は、さんざんだった。前日に予習したことを行き当たりばったりで教えていて全然整理できていなかったから、「ぐちゃぐちゃ先生」なんてあだ名をつけられたりした。それでも生徒とは年が近いせいもあり、このときはカナダでの楽しかった記憶が僕の中で支えとなっていたので子供達とはうまくやっていけそうな気がしていた。

でも数ヶ月が経ち、子供達との関係は徐々に悪化してきた。僕の怒れない性格が解ってきたのだろう、いわゆるなめられ始めいうことを聞かなくなってきていた。初めは様子を見ていた塾長も見かねて「子供を甘やかしすぎる。制御できていない。なんとかしてください。」と僕に強い口調で指示を出すようになってきた。

それでも子供を叱る事が性格的にどうしてもできなかったので、授業内容に工夫を凝らすようにしてみた。たとえば国語の授業の時に少し脱線して変わった漢字の読み方を教えるみたい事。南瓜と書いてなんて読むのか?海の豚と書いてなんと読むのか?(※南瓜(かぼちゃ)、海豚(いるか)と読みます)みたいな感じだ。この授業はウケがよく、子供達も一時的に話を聞いてくれるようになったけど、普通の授業に戻すと状況は元に戻ってしまった。塾長との関係はさらに悪化して信用を失い、僕の授業に対する保護者からの苦情もチラホラ入るようになり、僕はますます精神的に追い込まれてきた。その時にはもうカナダで感じていたことはものすごく遠い出来事のように思えていた。

当時特に授業が荒れていたのは、小4のクラス。特にKくんという子が非常にやっかいだった。授業中に机の上に立って踊り出して騒ぐ、月謝袋をこちらに向けて差し出して「これ、今月の先生の給料!」なんて言い出すことはざらだった。Kくんが先導すると、今までおとなしかった子も便乗して遊ぶようになり収集がつかなくなっていた。

それで僕も思い切って切り替えることにした。いつもは子供達のいいなりに近い状況だったが、その日は強気に出て、予定のページまでドリルが終わらなかった子は残ってもらうことにした。みんな、僕の様子がいつもと違うので驚いたようだったが、残りたくなかったからなのか、いつもよりはせっせとドリルをやり始めた。ただひとりだけKくんだけはいつもと同じようヘラヘラとしていたので僕も腹が立ち、本気で終わるまで帰さない気でいた。次の授業の準備もあったが構うものかと思っていた。

そして授業が終わり他の子供達がドリルを提出して帰る中、Kくんも「しれっと」帰ろうとしたので、約束が違うと行って引き留めた。Kくんはそれでもブツブツ言っていたが、制止を振り切ってまで帰る度胸はなかったのかしばらくドリルとにらめっこをしていた。僕はもう一押ししてやろうと思い「終わるまで帰れないからな。」と言った。

するとKくんは一瞬きょとんをした顔をした後、何の前触れもなく突然泣き始めた。ほとんど声を出さずにただただ大粒の涙をこぼしていた。僕はそれからどういう行動を取ったかあまりよく覚えていないんだけど、とりあえずKくんに謝ったり慰めたりしたと思う。結局、Kくんはひとしきり泣いてから、僕がもう帰っていいと言うと(言ったと思う)、そのまま無言で帰っていった。その時に、僕は子供ってこんなにも繊細で脆いものなんだと痛感させられた。

後日、Kくんは何事もなかったかのように塾に通ってきていたが、僕の方は以前のように子供達に接することができなくなっていた。自分が間違った事をしたとは思ってはいなかったけど、Kくんのことがあってから、子供の事をあまり叱ることができなくなった。そして結局、学習塾は1年で退職してしまった。そのことだけが理由ではないけれど、自分のパーソナリティのようなものに持っていた自信を失い、子供との接し方がわからなくなってしまったから。

たった1年の経験だったけど、今でもたまにKくんの事を思い出すことがある。目立ちたがりのムードメーカーの子だったけど、たまに脱線することもあり孤立してしまうような時があった。実はすごく繊細で臆病な子なんだけど、それを隠したくて普段虚勢を張っている。無理をしているから、何かのきっかけがあると「どばっ」と色んなものが溢れ出てしまう、僕はそんな瞬間を見てしまったのではないかと思っている。

この事を教訓にして、仕事を続けるという選択肢もあったかもしれない。でも僕もKくんのように「どばっ」と色んなものが溢れ出てしまったので、何しろリセットが必要だった。

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