昨日、母の49日の法要が終わり、母が仏様になった。お坊さんがお経を唱えている間に、病床で母が「まだ死なないからね。」とつぶやいていた事を思い出し、ひょっとしてまだ成仏したくない言って姿を現すんじゃないかと思ってずっと目を凝らしていたけど、幸か不幸かそんな事はなかった。
ところで法要の時、数人の親戚の方々と会って思い出話に花が咲いた。父も母が写真を取るのが大好きな人で大量の写真が残されていたが、まめな兄がきちんと整理して形見分けのために持ってきてくれたからだ。
その中に家族で日光に行った時の写真があったが、生前の父が母の肩に手を置き仲睦まじく写っているものがあり、なんとも新鮮で微笑ましかった。ただショックだったのは、僕が写っている写真もたくさんあったが、僕自身がほとんどその時の事を思い出せない事だった。一つ上の兄や従兄弟は当時の事を結構覚えていた。確かに子供の頃の年齢で1才の差は大きいが、それにしても見た目は幼稚園の年長くらいの年齢にはなっていたはずなのに…。その時感じた事は、僕にも人生の根っこみたいなものはちゃんとあったのに、それを捨ててしまったのは僕自身ではなかったのかという事だった。
今まで色んな事がありすぎたのかもしれない。トラウマを克服するために過去を忘れて否定する事で常に新しい自分になろうとしていた。良い事も悪い事もあったけど、全てリセットしないと生きていけない時期もあった。その事は今でも後悔はしていない。でも写真を見ているうちに過去の記憶を辿ってみたいと思うようになった。その中に少しでも僕の人生の根っこのようなものを見つけられれば、これから僕が生きていくための糧になるように思えた。
余談になるけど、アルバムの中に母がまだ学生だった頃の写真があり初めて若い頃の姿を見た。すごい美人というわけではないけど、切れ長の目でほっぺたがふっくらしていて可愛らしい顔をしていた。その時に変な話だけど、写真の中の母と一瞬目が合った気がして思わず「ドキッ」としてしまった。また病床での母の姿とのギャップがあまりにも大きくて、時間の流れというものは平等だけれども残酷なものなんだと改めて感じさせられた。
そして仮に天国とかあの世のようなものが存在していたとして、そこに父や母が暮らしているのなら、やっぱり若くて溌剌とした時の姿でいて欲しいなと思った。
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