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ハートに火を点けて 15 2030/4/7 エピローグ

2023年
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・2030年4月7日(日)エピローグ

4月になってから僕は久しぶりに新宿御苑に行った。しばらくの間、新宿方面に足を向けるのは怖くて避けていたが、初夏を感じさせる清々しい気候にも誘われ、何故だが急に行ってみたくなった。今、僕はハローワークでプログラミングの職業訓練を受けているが、それに特に興味があったわけではなく、次にどんな仕事をしたらいいのか、全くイメージができなかった。そういう意味で少し気分転換もしてみたかったせいもある。

あれから、いくつかの不可解な出来事が起きた。まず夜の公園で撮ったヒラヤマの写真がiPhoneからいつの間にか消えていた。撮ったその日には確かに写っていたはずなのに、バッテリーを充電してから見直してみると無人のベンチだけが、僕を嘲笑うかのように写っていた。

それからベルボーイの制服もなぜか忽然と消えてしまった。ハンガーに掛けてベランダで陰干しをしていたが、ハローワークに行って帰ってくるとハンガーごと無くなっていた。部屋が荒らされたり貴重品が取られた形跡もなく、盗むほどの価値があるものとも思えなかったし、カラスや猫が持って行けるほどの大きさでもなかったので、なぜ無くなってしまったのか見当もつかなかった。

そのため、僕があの施設にいた事を証明できる物は何も無くなっていた。ネットでも例の施設やキドについての検索をしてみたが何の手がかりもつかめなかった。あたかも現実が帳尻を合わせるために仮想世界に関する証拠を抹消して、僕に「早く忘れるんだ。」と言っているような気がした。

それから母の見舞いにも数回行った。元々、兄と交代で数週間おきに行くことになっていたが、僕が1ヶ月も音信不通だったので、兄からは「今まで何処で何をしていたんだ。」とネチネチと怒られた。とりあえず「精神的なデトックスをしたくて、スマホを使えない無人島のような所へ一人旅をしていたんだよ。」と言っておいたが「いいご身分だよな。でもこれからは事前に連絡してからいけよ。」とお説教もされた。それでも一応信じてはくれたようだったので安堵した。

見舞いに行くと、母は以前父にこんなひどい事を言われたとか、兄は昔から真面目すぎて冗談が通じないとか、愚痴ばかりこぼしていた。しかも何度も同じ話を繰り返していたので、僕は適当に聞き流しながら、相づちを打っていた。よく喋るので一見、元気そうに見えるのだが、明らかに痴呆症が進行しているのを感じた。

ただその日は僕が頃合いを見て帰ろうとした時、母は突然僕の手を握ってこう言った。
「私は、まだ死なないからね。」
僕は少し驚いたが、母に
「そうですね、まだまだお元気そうなので大丈夫ですよ。」
と笑顔で答えた。それを聞いて母も満足そうに微笑んだ。

僕はその時、心の中では「あなたは肝臓癌であと1年足らずで死んでしまうんですよ。」とつぶやいていた。でも後から、ひょっとしたら母のその言葉には「私は死なない、でもあなたは?」という問いかけがあったように思えてならなかった。気のせいかもしれないが、母は僕から「生への執着の無さ」のようなものを感じ取っていたのかもしれない。確かに僕はサキのいない世界で生き続けることの意味を持てないでいたからだ。

新宿御苑では日差しが強かったので、木陰を探して芝生の上に寝転んで日光浴をした。そしてサキから誕生日にもらったZIPPOのライターを取り出し、火を点けては消す動作を繰り返していた。近くにいた親子連れは、そんな僕の姿を見て怪訝な顔でビニールシートをたたんで離れていった。

実はあれから僕は禁煙をしていた。だからZIPPOは持っていても煙草は持っていなかった。僕が様々な物を失ったのは、根本的には喫煙が原因では無いと解ってはいたが、そのきっかけとなったのは間違いない。だから新たな人生を始めるためには、禁煙から始めるのが最適だと思ったからだ。ただ思った以上に禁煙は困難で、3ヶ月経過しても未だに口寂しくてガムを手放せずにいた。

ZIPPOと戯れながら、ふとサキのことを考えた。サキはもうおそらく現実社会には存在していないのだろう。それを確かめる方法はいくつかあったが、それはあえてしない事にした。あるいは現実をしっかり見つめるためにそうすべきとも思ったが、最後にサキは僕に「これからも私の事、ずっと忘れないでいてくれる?」と言ったのだ。決別やけじめのような物を求めていたわけではない。だから僕もその気持ちに応えたかった。

「なんだかさ、君に最後に会ってから心の中で小さな炎がチロチロと燃えてるんだ。」
サキの言葉を思い出しながら、僕は無意識にそうつぶやいていた。

彼女は別れ際に、僕の中に小さな炎のようなものを残していってくれた。それは今では冷え切っていた僕の心を温めてくれている大切なものだ。それでもいつかはこの炎は誰から貰ったものだったのか、そもそも何故、僕の中にあったのか、忘れてしまう日が来るかもしれない。
「そうなったら、サキ、僕に思い出させるために、またあの屋上まで会いに来てくれないか?それから今度は普通にデートしたいな、出来れば根源的な悪なんか無しで。」

着火を繰り返すうちにZIPPOが熱くなってきたので、僕は蓋を閉めて思わず芝生の上に放り投げた。ZIPPOは芝生の上に乾いた音を立てて落ちた。僕はそれを拾わずそのままにして、深呼吸をして芝生と黒土の匂いを吸い込んだ。確かな生命の息吹を感じ、僕はまだ自分が生きていることを実感した。

それから空を見上げ雲の隙間から青空を眺めると、目の前には今まで全く見たことのない光景が広がっていた。僕は改めて空の青さを知った。

-完-

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コメント

  1. より:

    「ハートに火をつけて」執筆お疲れ様でした。
    いろいろ感じたところありますが、最終話で一番気に入ったフレーズが“なんだかさ、君に最後に会ってから心の中で小さな炎がチロチロと燃えてるんだ。”でした。
    もうそこにはないけれど(サキは居ないけれど)、なにかが残っている。ちょっとした、これからラクダが生きて行ける「糧」のような…少し安堵出来るフレーズでした。
    このフレーズは、ラクダの思いじゃなく、以前サキが言っていた事と勘違いして後半に夢の中のような中で再会した時を読み返しました。しかしこのフレーズは見当たらず、では最初の話だったかな?と最初の話まで読み返しました。
    最終話を何度か読み返して、ようやくラクダがサキの言葉を思い返して、つぶやいた言葉だと気付きました。
    読解力がなく、感想を書き込みするまで時間がかかってしまい、すみませんでした。

  2. いつもコメントありがとうございます。そうですね、ちょっと分かりづらかったかもしれませんが小さな炎がチロチロと燃え出したのは、サキに「これからも私の事、ずっと忘れないでいてくれる?」と言われたからでした。チロチロと言う言葉はいきなりパッと浮かんだもので、慌ててメモを取ったのですが、気に入っていただけて嬉しいです。タイトルが「火を点けて」なので「炎じゃなく火なんじゃねーの?」(^_^;と最後まで迷いましたがどうしても炎の方がしっくりくるのでそのままにしました。最後までご愛読いただき本当にありがとうございました>柴犬

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