──死ぬタイミングが人生を決める。それは救いか、呪いか?
「先生、冗談キツいっすよ。穴掘ってそこに入れって。これは何かの罰ゲームですか?」
亮司が、少し皮肉交じりに言ったが、キドは首を振った。
「これは『純粋な授業』だ。始めに『存在論』という授業を受けただろう?あの時は内省的になり、自分の魂の本質を問い直すだけだったが、これはその実践編のようなものだ。」
「へーそうなんですか。でも俺たちはそういうのはもう十分なんで。なぁ、そうだろ?」
そう言って亮司が振り向くと、高志と修が困惑したような表情を浮かべていた。
「おい、どうしたんだ?何か変な感じがしないか?」
亮司の言葉に、高志は首を振った。
「なんだか…体が重くなってきた気がする。」
修も同様に戸惑いながら言った。
「ボクも…なんだか頭がぼんやりして…」
その時、高志の手が勝手にスコップに向かって伸びた。
「あ、あれ?何で俺の手が…」
高志の手が、まるで引き寄せられるようにスコップを握った。修も同様に、ぎこちない動きでそれに続く。
「おい、お前ら、何やってんだ!やめろってば!」
亮司が叫んだが、ふたりは戸惑いながら首を振る。
「体が……勝手に動くんだ。意思に逆らえない」
「先生の『純粋な授業』って言葉を聞いた瞬間から……まるで命令されたみたいに」
キドは狼狽している3人の様子を見て、楽しげに話しかけた。
「いいぞ、そのまま掘り続けるんだ。お前らには授業を受ける義務があり、教師の指示には逆らえないように出来ているんだ。お前らの言葉で言うと、プログラミングされている」
それから(ピッ)という微かな音が響いた。同時に3人のこめかみが、ほのかに光を帯びた。
キドは満足そうに頷いた。
「いい反応だ」
それからキドは促すように亮司を顎でしゃくった。
「亮司、お前もだ。早く所定の位置で穴を掘るんだ」
そう言われた瞬間、体がピクリと動いた。
「……ちょ、まて……俺、まだ……」
口では拒んでいるのに、手足がじわじわと勝手に動いていく。
自分の体が“誰かのもの”になったような感覚が、亮司をぞっとさせた。
軽く、柔らかい砂。スコップは驚くほどすんなりと進んでいく。
穴を掘るために“最適化された”場所──。
-やっぱり、罠だったのか-
高志は穴を掘りながら、心の中で呟いた。幸いだったのは、砂が軽く柔らかい性質だったことだ。おかげで穴掘りにそれほど時間はかからなかった。ほどなくして全員の背丈と幅のある穴を掘り終えた。
「それぞれ、自分が掘った穴に入れ」
キドのその言葉に従って高志達は一斉に砂の穴に入った。穴は、首から上だけがどうにか地上に出るくらいの深さだった。それから奇妙な現象が起きた。穴を掘ったときに出た砂が、勝手に穴の中に戻り始め隙間を埋めていった。おかげで高志達は砂の中に生き埋めにされたような状態になっていた。

「いわゆる砂むし風呂って奴ですか?でもちょっとぬるいですよ、キド先生」
亮司が強がってそう言ったが、声が裏返っており、明らかに余裕がないのが感じられた。
「心配するな、これから暑くなる。いや、あるいは凍り付くかもしれないな」
キドはそう言ってVRゴーグルを3人に装着した。
「さて、亮司。まずはお前からだ。Bosatuに接続する」
キドがそう言うと
「リョウカイシマシタ。ミライカンソクヲハジメマス。ザヒョウヲケイサンシテイマス」
機械的な音声が、何の情もなく命を告げていた。ボサツ?──菩薩……。おそらくキドが使用しているAIなのだろうか?なぜそんな名前をつけたのか。救いの象徴なのか、それとも皮肉か?そして亮司の現世がぼんやりと浮かび上がり再生され始めた。
***
とあるオフィスタワーの会議室のような映像が映し出された。そこには亮司と数名の同年代の若者達が座っていた。亮司は腕組みをして目を瞑り、何かを考え込んでいるように見えた。
「だからさ、今なんだよ、この会社の売り時は。上場してから株を売れば、まとまった金が手に入る。大手企業の社員になるんだから、生活だって安定する。いいことづくめじゃないか?」
いかにもプログラマーといった感じの黒縁眼鏡をかけた痩身の若者が、亮司に詰め寄っていた。亮司はゆっくりと目を開けて、彼を見て言った。
「M&Aをしたら、一時的に生活は潤うだろう。でも今までのような自由はなくなる。ゼロから物を作り上げていくような喜びだって得られないだろうよ。それがお前らには分からないのか?」
亮司の言葉に若者は深いため息をついた。
「俺たちはこの会社を立ち上げるのにどれくらいの年月とエネルギーを費やした?何日も徹夜で泊まり込んで、給料も払えなくて散々貧乏をして20代という貴重な時間をこの仕事だけに費やしてきた。もう十分じゃないか。いい加減、残業や貧困からは解消され、家族や恋人と人並みに過ごす時間を作りたい。分かっていないのはお前の方だ」
痩身の若者は興奮気味にそう言った。
「みんな、同じ意見なのか?」
亮司は俯いて話を聞いていた他の若者達に声をかけた。皆は無言で頷いた。それは亮司の胸を締め付けた。会議室に、沈黙が落ちた。誰かが小さく咳払いをし、それが合図のように女子社員の一人が口を開いた。
「こんなに早く上場できたのだって、社長のスキルと才能があっての事だと思います」
少し俯きながらも、彼女の声はしっかりと響いていた。
「…尊敬も、していますし、感謝も。でも……以前、何ヶ月か給料が貰えない時期がありましたよね?あの時に、私は社長に対する考えが少し変わりました」
「あの時、一番、会社が苦しかった時か。でもみんなに状況を説明して頑張って乗り越えられたじゃないか。未払い分だってきちんと払ったはずだよな?」
亮司は、女子社員が何を自分に訴えたいのか理解できなかった。
「そうですね、いただきました。でも問題はその後です。あの時会社には独占契約したゲームソフトの売り上げが相当、内部留保されていたはずです。私達は、当然、それが社員に還元されると思っていました。にもかかわらず社長はそのお金をAIプログラムの開発費に回しましたよね?役員会の反対を押し切って…」
彼女は一瞬躊躇してから続けた。
「きっと社長なりの成長戦略があったんだと思います。でも、その時私達には何の相談もありませんでした。もう少し私達の気持ちも考えてもらえたら…。『自由』って仰いましたが、私達にとっては生活の安定の方が大切だったんです」
「いや、それは……企業ってのは、攻め続けなきゃ生き残れない。守りに入った瞬間、終わるんだ。俺はそれを……」
亮司の声が、ふと、細くなった。
それ以上の言葉が、どうしても出てこなかった。自分は学生の時に数人の友人達と会社を立ち上げた。その間の社員達の貧困も過酷な労働環境も、理解しているつもりだった。でも実際はそうではなかった。
―俺は結局自分の事しか考えていなかった、いや考えられなかったのか―
***
ここで一旦、映像が途切れた。肩を落としている亮司にキドが説明した。
「お前は株式の上場パーティーで、はしゃぎすぎてクルーザーから落ちて溺死しちまったんだよな?今見たのは、次の日の役員会の映像だ。お前が生きていて参加した場合のな。この後の決議でお前は取締役社長を解任される。お前は社内で仲の良かった若手の何人かに声をかけて、新規事業の立上げを呼びかけるが、誰1人応じる者はいなかった」
亮司はすっかり項垂れて、キドの話をただ黙って聞いていた。
「結局、お前に残ったのは個人補償した借金だけだ。これはM&Aをしてもお前自身で払わないといけないからな。しかも持っていた会社の株式はいつの間にか名義変更されていて、借金を返すあてもなかった。訴訟を起そうにもその金もない。あとはお決まりのコースだ、一か八かでオンラインカジノにハマるがより膨らむ借金。人間不信になり、耐えきれないストレスによるアルコール依存症にもなる。それから…」
「もうやめてくれ、十分だ」
耐えかねた亮司がキドに訴えた。
「いや、まだまだこれからだよ。アルコール依存症で40歳を待たずにお前は死ぬ。膨らみ続けた借金は、最終的に家族が肩代わりすることになる。比較的裕福な老後を過ごしていた両親は、持ち家を売り払う。そして、家賃が月五万円の安アパートに引っ越す羽目になる。お前の姉は、子どもの学費を借金返済に充てることになる。……そのせいで、子どもは大学進学を諦め、働きに出る──」
キドは少しだけ間を置いて、呟くように言った。
「どうだ、『未来』ってのは、残酷だろう?」
「頼むからやめてくれ、もう本当に…これ以上は…」
亮司は首を左右に振りながら泣き叫んだが、キドはそれを無視して話を続けた。
「お前がもしあの時、クルーザーから落ちて死んでいなかったら、まず、お前自身が不幸になる。でもそれだけじゃない。周りの人間まで巻き込んで不幸にしていくんだ。お前は本当に良いときに死んだんだよ。どうする?アル中になって孤独死するところまで見届けるか?」
キドは憐れみの目で亮司を見つめた。亮司はすっかり打ちのめされ、何も答えられずただ首を振った。
高志も修も亮司の『未来観測』の結果を見て、大きな衝撃を受けていた。そして高志の脳裏には
―これはキドが高志達の現世へのアクセスを妨害するために作り出した『都合の良い未来』なのではないか?―
という考えが頭をよぎった。けれどあの女子社員の声は、演技では出せないほど切実だった。見せられたのは“幻”か、それとも“真実の一部”か。今の高志には、見分けがつかなかった。
ただ──胸の奥に、妙な痛みだけが残っていた。静まり返った砂漠に、誰のものか分からない呼吸の音だけが響いていた。
「いいか、お前ら。この授業は“生き返る”ためのものじゃない。“死に納得する”ためのものだ。次は修、お前だ」
キドがそう言うと修は身震いをして、自分が生きていたであろう未来が映し出されるのを待った。
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