そのままでいいよ|変われない自分を、誰かが愛してくれている【犬のかたちをした記憶 第二十八章】 | ねじまき柴犬のドッグブレス

犬のかたちをした記憶 ― 第二十八章:そのままでいいよ

2025年
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——変われない自分を、誰かが愛してくれている。

やわらかな光が次第に形を成していく。高志と紬は、桜吹雪の中で息を呑んで見つめていた。

光の輪郭がゆっくりと人のかたちを取り戻す。そこに立っていたのは、一人の少女だった。

制服のスカートが風に揺れ、長い髪が光を受けて淡く輝いている。桜の花びらが、彼女の周りを舞い踊っていた。

「……沙梨?」

高志は思わず声を漏らした。

沙梨は膝をついて、激しく呼吸をしていた。高志は気がつくと、沙梨の方へ駆け寄っていた。

「沙梨、大丈夫か?どうしてここへ?」

「わからない…砂漠を歩いていたら急に目眩がして、急に意識が薄れてきて…きっとこの子たちのせいね。量子もつれで、紬ちゃんの夢の中に引き寄せられたんだと思う」

淡い声だったが、その笑顔には確かに、犬だった頃の沙梨の面影があった。

「この子たちってサリーとリリーか…」

高志は呆然としてサリーを見つめた。


「パパ……その子、誰?」

紬が叫んだ。その声には心なしか敵意のようなものを感じた。紬の瞳が、沙梨を舐めるように見つめる。整った目鼻立ち、ショートカットの茶髪、お洒落な制服。そして何より、父親と親しげに話す姿。

(この人…可愛い。私なんかと全然違う…)

「え、まぁその…クラスメートなんだ」

高志は曖昧に答えた。その曖昧さが、紬の胸に黒い塊を生んだ。

「クラスメートって、親しそうじゃない…パパには友達はいないって言ってたのに。ひょっとしたら彼女なの?今日は私の話を聞いてくれるんじゃなかったの?ひどい…」

「違う、紬…。そうじゃ……いや、その……沙梨は……」

高志が言いかけるのを沙梨が遮った。


「高志、これからは私が説明する。紬ちゃん、初めまして。私は沙梨、高志の昔の友達なの。今日は二人の邪魔をするつもりはなかったの。でもこの子たちに呼ばれて、ここまで来ちゃったのよ」

「この子たちって…サリーとリリーのこと?」

「そうよ。私はこの子たちの母親みたいな物だから、引き寄せられたみたい。ついでに言うと、私の前世は……柴犬なの」

紬の目が驚愕に見開かれる。

「高志の家で飼われていた犬。高志が高校生の時に死んじゃったけどね。昔の友達っていうのはそういう意味」

「…前世は柴犬って何のこと?茶髪でピアスまでしてどうみても今時の女子高生じゃない。そんな話信じられないわ」

沙梨はため息をついた。

「そうね、きっとすぐには信じられないかもしれないわよね…。でもサリーとリリーを見てくれない?」


沙梨の言葉を聞き、紬はリリーを見た。リリーの鼻先から一筋に伸びた光が沙梨の方へ向けられていた。またその心なしかリリーは嬉しそうな顔をしていた。

——リリー?なんで?

紬は高志が持っているサリーのぬいぐるみを見たが、同様に一筋に伸びた光が沙梨の方へ向けられていた。

「これで信じてくれたかしら?」

沙梨がそう言ったが、紬はまだ、疑わしそうな目線を沙梨に向けていた。


「ねぇ、紬ちゃん。私がここに来たのは、この子たちが私に助けを求めたからじゃないかって気がするの。すっかり生きる気力を無くして、パパを困らせているあなたを見てね」

沙梨がそう言うと、紬はキッと沙梨を睨んだ。

「あなたに何が分かるっていうの?仮に以前は犬だったとして、今はお友達もいて学校ではさぞや楽しく暮らしているんでしょう?あなたみたいな人は、たくさん見てきたわ」

沙梨はため息をついた。

「見た目で判断されてしまうのね…仕方ないけど。でも実際はそんなに楽しくなんかない。学校では人間にしてもらったことで、先生に協力してクラスメートの行動を監視して密告しなきゃならなかった。何よりも本当に長い間、待っていた友達に、天国で一緒に暮らして欲しいって頼んだのに、『俺は娘に会いに行って助けてやらないといけないんだ』って言われて振られちゃったのよ」

「沙梨、それは…」

高志がそう言いかけると沙梨は首を振った。

「いいのよ、大体、予想していたことだから…」


高志は、呆然と沙梨の話を聞いていた紬を見て、説明した。

「紬、沙梨の言ったことは本当なんだ。信じてくれ。それより話を元に戻そう。お前は『この世界には、私の居場所がない』って言った。でも本当にそうかな?今の学校はそうかも知れないが、ママや、新しいお父さんや弟さんたちはとても心配しているんじゃないか?それに仲の良かった中学校の頃の友達だっているんだろ?」

紬は首を振って震える声で言った。

「パパは分かってない、さっきも言ったでしょ?私の家族も友達もみんな、ちゃんと生きてるの。職場や学校で環境が変わっても、すぐにそこに溶けこめるのよ。私の家では週末になると、ほとんど毎週、お客さんを呼んでパーティーみたいなことをしている。弟はそれに参加してすっかり、大人の人たちと仲良くなっているけど、私は一人だけ馴染めなくて、それが耐えられないくらい嫌なの!」

紬は徐々に鼻声になり、今にも泣き出しそうだった。

「それに、中学校の頃の友達だって、もうきっと新しい友達を作っているわ。みんなそれぞれ新しい世界に足を踏み出しているのに、私だけ変われない…部屋の中で一人、リリーを抱きしめながら閉じこもっているの…」


「ねぇ、紬ちゃん、変わる必要なんてあるのかしら?」

沙梨が突然、そう言った。紬は驚いて沙梨の方を見上げた。

「新しい環境に馴染めないのって、そんなにダメなこと?お友達が増えるのって良いことなのかな?それは、できたら楽しいかもしれないけど、私にはそんなに大切なことだとは思えない」

「だ、だって、それってこれから社会で生きていく上できっと必要なことでしょ?」

「そうかもしれないわね。でも、もっと大事なことは他にあると思うの…それは、言葉にするのは難しいけど、そうね…そういう自分を認めてあげること。『そのままでいいんだよ』って」

「…わたし、このままでもいいの?」

沙梨は紬をじっと見つめて微笑み頷いた。紬はポロポロと大粒の涙を流していた。


「私は犬だったから、元々お友達なんかいなかった。だから、私には紬ちゃんのことは想像することしかできない…でもね、高志や家の人に可愛がってもらったから寂しくなんかなかった。とても幸せだったわ、もっと高志と長い間、一緒に生きていけたら良かったけど」

沙梨はそう言って少し寂しそうに笑った。

「紬、俺も友達なんてサリーしかいなかった。それを寂しいと思ったこともあったけど、でも逆に友達ってそんなにたくさん必要なのかな?とも思っていた。だって遊ぶ仲間はたくさんいたけど、本音で話せる相手なんていなかったから…」


「パパ、でも私は学校にも行ってないのよ?これからどうやって生きていけばいいの?」

「今の学校が嫌だったら、無理していかなくてもいいさ。今は、色々選択肢もあるじゃないか。フリースクールへ行くとか、大検を受けて、大学に進学するとか」

「簡単に言わないで!そんなに単純な問題じゃないのよ」

紬に強い口調で責められ、高志は少し胸が痛んだ。

「そうだな、ごめん…また、俺、やっちゃったかな。でもな、紬、お前の名前な、実はパパが考えたんだ。『飾らずに健康的で、一歩一歩夢に向かって着実に前に進んでいく』人になって欲しいって意味がなんだ。この名前を考えたときだけは、珍しくママに褒められた。お前は俺の宝物だった。俺の人生に意味があったとしたら、お前が生まれて本当の意味で家族を持てたことだけだった。だから、お前にはもっと自分を大切にして欲しいんだ。でも先に死んじゃった駄目なパパでごめんな…」


「ねぇ、パパ、私なんかいなくなってもきっと、誰も気にしないよ。そりゃ少しは悲しんでくれるかもしれないけど…きっとみんな、すぐに立ち直って何事もなく生きていく。私の存在なんて、その程度なのよ。だからパパ、私はやっぱり一緒に行きたいんだ…」

二人の間に、桜の花びらが舞った。

紬は俯いたまま、震える声でそう言った。高志がかける言葉もなく黙っていると沙梨が口を開いた。

「ねぇ、紬ちゃん。決断する前に、一つだけ見てほしいものがあるの…本当は、こんなもの見せたくないけど。でも、紬ちゃんには知っておいてほしいの」

沙梨は静かに立ち上がり、懐から何かを取り出した。それは小さなVRゴーグルだった。

「これは…?」

「未来を映すもの。あなたがいなくなった未来が、どうなるのか?…それを知ってから決めてほしいの」

沙梨の表情が真剣になった。

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紬は震える手で、VRゴーグルを受け取った。

冷たいプラスチックが肌に触れた瞬間、心臓が縮み上がった。
——私がいなくなった未来…知りたくない。でも…見なきゃいけない気がする…

その瞳に、決意と恐怖が入り混じる。

沙梨も優しく微笑んで言った。

「大丈夫。怖がらないで」

「沙梨、紬に未来観測をさせる気か?大丈夫なのか?」

高志は心配になって沙梨に尋ねた。

「これを見ることは紬ちゃんには必要なことなの。でも、当たり前だけど、キドみたいに未来を歪めたりはしていないわよ」

紬は深呼吸をしてから、ゆっくりとVRゴーグルを装着した。

桜の花びらが舞い散る。その時、リリーとサリーが同時に光った。

まるで、紬の未来を優しく包み込みかのように…。

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