第一話 ユー・リアリー・ガット・ミー
キドさんからドライブに誘われたときは、驚いたが素直に嬉しかった。
以前から、愛車のジャガーに乗せてくれないかなと思っていたからだ。
でも強面でいつもサングラスをしているキドさんは、根は優しい人だと分かってはいたが、
なかなか話しかける勇気がなかった。
ましてや、店が忙しくてそれどころではなかったこともある。
「オサム、これからドライブに行くぞ」
「え、これからですか?でもお客さん並んでますけど?」
「今日はもう店じまいだ。たまには気晴らしをしないとな」
僕は、隣にいるアルバイトのミカと目を合わせた。ミカは肩をすくめてクスッと笑った。
それからキドさんは並んでいる客達を無造作に追い返した。
「今日は、もう出せる物がないんだ。悪いけど帰ってくれ」
キドさんの低くて樫の木みたいに硬質な声が店内に鳴り響いた。
客達は口々に文句を言いかけたが、仁王像のようなキドさんの迫力に押され渋々
店から出て行った。僕はクレープを焼く手を止め、後片付けをミカにお願いした。
「ごめんな、ちょっと出かけてくる」
「いいのよ、いってらっしゃい。楽しんできてね」
「それ食べていいから」
店を出るときに急いでそう言うとミカはぎこちなく笑って、作りかけのクレープを
手際よく仕上げ食べ始めた。
「お前は、後ろに乗れ」
キドさんは重低音を響かせアイドリングをしているジャガーの後部座席を指差した。
哺乳綱食肉目ネコ科ヒョウ属、その名のせいなのか、エンジン音が野生の咆哮の
ように体の芯まで響いてきた。
僕がドアを閉めると、ジャガーは急発進をし、急速なGに体を押さえつけられた。
シートベルトを探したがそんなものはどこにもなかった。仕方なくアシストグリップを
しっかりと掴みその衝撃に耐えた。
ジャガーは見渡す限り何もない平原を、加速し続けふとスピードメーターをみると
140kmを超えていた。幌を上げたオープンカーに容赦なく風が吹き付け、遠景が歪む。
漂っている匂いは明らかに現実世界のものではない。
「これから何処へ行くんですか?」
僕はエンジン音に負けないよう、声を張り上げてキドさんに尋ねた。
「いけば分かる」
キドさんはそれだけ言い、カーステレオのスイッチを入れた。ザ・キンクスの
『ユー・リアリー・ガット・ミー』が風に紛れて断片的に聞こえてくる。
やがて強い煙草の匂いが微かに漂ってきた。
トップギアのままで変速が不要になり余裕が出たのだろう。キドさんは煙草を
くゆらせご機嫌な様子だった。僕は強い砂埃と風圧でまともに前を見られなかった。
この孤独感はどこかで味わったような――。
そうだ、5歳の頃、縁日で迷子になった時の事。年の離れた兄は僕を置き去りに
してずんずん先へ行ってしまった。ひとり取り残された寂しさが妙に似ていた。
その間にもジャガーは一段と加速し咆哮を続けていた。


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