天狗 鱗滝老人 | ねじまき柴犬のドッグブレス

父は天狗の話をしてくれた

2023年
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天狗(てんぐ)は、日本の伝承に登場する神や妖怪ともいわれる伝説上の生き物。一般的に山伏の服装で赤ら顔で鼻が高く、翼があり空中を飛翔するとされる。俗に人を魔道に導く魔物とされ、外法様ともいう。江戸時代になると「天狗かくし」と呼ばれる人さらいの天狗の話が多く見られるようになる。鬼も人間をさらうことがあるが、目的は食べるため。しかし、天狗は食べるためではなく、家来のように自分の仕事を手伝わせるなど、各地を連れ回したあとに家に帰してくれることも多いとされている。

父は僕がまだ幼い頃、寝る前によく天狗の話をしてくれた。詳細な内容は覚えていないけど、概要としては天狗が子供を山の中などにさらっていってしまう話だった。当時は僕はまだ3歳くらいだったので、おそらく最古の記憶の一つになる。

ところで前述したように、天狗というのは見方によっては人間にとって恐怖を与えるだけの存在とはいいがたい。人さらいはするが鬼とは違って人を食べたりはせず、自分の仕事を手伝わせたり、あちこち連れ回すことが目的だったようだ。さらわれた子供にとっては恐怖でしかないし、またその家族には悲しみや怒りが当然あったと思うけど、その後に生きて家に帰してくれるのであれば話が少し違ってくる。迷惑な事に変わりはないけどではあるけれど、天狗が特殊な教育者だったようにも思えてくる。父もあるいは天狗に対しては悪いイメージではなく、ストイックでクリーンなイメージを持っていたんじゃいかなと思う。

天狗というと今はどうしても鬼滅の刃の鱗滝老人を思い浮かべてしまう。
※鬼滅の刃を知らない人には申し訳ないけど、彼も鬼殺隊という鬼を
撲滅するための隊員に修行をさせるいわば教育者のような存在だった。

ただ父が天狗の話をしてくれたのは、せいぜい僕が幼稚園を卒園する頃までのほんの一時期だった。その後の父は覚えている限り、毎晩遅くまで仕事をしてたまの休日は車の掃除に精を出したり、接待ゴルフに出かけるような仕事人間だった。でも時々、家にある室内ゴルフ練習用のパターセットで、僕と兄と一緒に遊んでくれたのを覚えている。ゴルフボールをうまくカップに入れるとお小遣いをくれたりしたのでこれも楽しい思い出だった。だから父が若いときに機嫌が悪くなると、母に手を上げたりビール瓶を投げつけたりしていた事があったと聞かされてもなかなか信じられなかった。なにしろ僕は記憶の限り父に一度も殴られたり、怒られた事がなかったので。

天狗の話に戻ると、父は仕事人間で忙しかったはずなので、もし子供を寝かしつけることが目的なら、絵本などを使って一般的な昔話をすれば事足りていたような気がする。そもそもなぜ天狗の話をしたのだろう?父に聞く前に他界してしまったのでいまや謎のままになってしまった。

でも若き日の父は、空で架空の天狗の話ができたくらいなので、きっと豊かな想像力があり、記憶力のある頭のいい人だったんじゃないかなと思う。天狗のような厳しさ(気性の激しさ?)も持っていたかもしれないが、それを僕の前では決して見せようとはしなかったけど。

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