社会人になって職を転々としている時に思った事。職業選択に自由なんかなければ楽だったかなと。選択肢があるというのは、ある意味ではキツい事だと思う。なにしろ考えるのが大変だ。例えば、○○社の製品が好きだからという理由はとても曖昧なものだと思う。大きな意味で言えば業界に興味があるという事なんだろうけど、直接開発や商品企画に誰でも携われる訳じゃない。事務や経理なら、ほとんど製品には直結しない。
営業なら企画もできるかもしれないが、好きではない商品だって売らなければならない事もあるだろう。ノルマだってあるし、自分と合わない上司に当たったりするとそれはもう仕事に集中できず楽しいとかいう以前の問題になるだろう。職場見学や先輩の話だけでわかるものなんて、ほんの一部分だと思う。だから実際に働いてみなければ自分に向いているかなんて絶対に解らない気がする。
僕が大学を卒業したときにはやりたい仕事なんて何もなかった。就活に疲れてカナダにホームステイに行った時、日本人学校の子供達と過ごしてみて楽しかったので、子供達に関わる仕事をしたいと思った。それで学習塾に就職したけど、これは残念ながら全くの見当違いだった。
結局僕は、今まで6回転職していて、今の仕事に落ち着くまで10年以上かかった。それまでどういう仕事をしたらいいか考え続けてきたが、考えるのに疲れたので今の仕事を続けているというのが正直なところ。他の理由としては、当時は結婚したばかりだったのでやめられなかったという事と比較的人間関係に恵まれていた事もあった。これは幸運な事だったとは思っている。
職探しに疲れた時、江戸時代に生まれてどこかに丁稚奉公に行って、そのまま呉服屋みたいなところで働いていたとしたらどうだろうと考えた事がある。子供の頃は一生懸命働いてある程度の年齢になったら近所に住む年頃の女性をご主人に紹介されて所帯を持って、その店でただ決められた事だけを黙々とやり続けて一生を終える。少ない給金で慎ましい生活だけれども、番頭さんくらいになるくらい認められたら少しは楽な生活ができるかもしれない。たまにご近所さんと銭湯や寄席に行ったりして気晴らしをする。年に数回のお祭りの時だけ、羽目を外して大はしゃぎする。そういう選択肢のない生き方もある意味幸せだったんじゃないかと勝手に想像したりしてみたりする。
どんな仕事についたらいいか、答えのない答えを探してみたり何かを考えたり選択したりせずに、面接で落とされて落胆したり、会社に入ってみて失望したりしなくて済んだのかなと。希望や夢もなかったかもしれないけど、逆に諦めや挫折も感じないで済んだかもしれない。もちろん実際にはどうだった解らない。それに江戸時代は身分制度があり人権自体が守られていないかったので、それはそれで不自由で制限があっただろうとも思うけど。
話は変わるけど今、就活をしている友達がいるけど、かれこれ3年以上働いていない。コロナ渦になってしまった事は誤算だったんだろうけど、面白い仕事が見つからないと言って嘆いている。僕からすると、「面白い仕事って何?」って逆に聞きたくなってしまう。それに50才を過ぎて未経験でそんな選択肢はないだろうと思うんだけど、腰掛けのアルバイトすらしたがらず、正社員にこだわり続けている。起業も進めてみたが、あまり乗り気ではなかった。幸い、本人に蓄えと持ち家があり生活は成り立っているせいもあるけど、考えがかなり頑なだった。彼は今まで転職をした事がなかったので、僕とはかなり感覚が異なっているのだろう。
僕は今、コールセンターで働いている。会社の方針として建前上はお客様満足度向上を掲げてはいるが以前よりは、お客様目線の対応をして企業のイメージを良くしていこうという意識が薄れてきている。特にコロナ渦になってからは、いかに効率的に仕事をこなすか、人件費を含めたコストを減らすかという事ばかりに注力をしていて、よほどのクレームでもない限りは応対の内容について問われたりする事がない。そのため、徐々に仕事にもやりがいを感じられなくなってきている。それでも仕事を続けているのは、何処に行っても多かれ少なかれ同じなんだろうなと思っているからだ。それならば慣れている仕事を続けていた方がまだいい。
ところでまた話は変わるけど※注 ベーシックインカムという制度を日本でも実施してくれないかなと思った。経済的な余裕があれば、職業選択をするときも待遇面から考えるのではなくて、自分の性格や適性を優先に考えて、基本給が少しくらい安くてもいいかと思えるようなゆとりができたかもしれない。何より、余暇を楽しんだり、子育ての資金に充てたりできれば国民の幸福度も上がったんじゃないですかね。もらった分だけお金を使えば消費が増えるので、景気も良くなるという相乗効果もあるように思います。実際に財源をどうするかは難しい問題なんでしょうけど…。
今回もあまりとりとめのない話になってしまいました(^_^;)
※ベーシックインカム(Basic Income) とは、年齢、性別、所得水準などに関係なく、すべての国民や市民に一律の金額を恒久的に支給する基本生活保障制度の事。例えば、2017〜2018年の2年間に渡って制度を導入したフィンランドでは、失業者の中から無作為に2000人を抽出し、失業手当と同等である金額(日本円で73,000円ほど)を毎月支給したようです。支給された人に調査をしたところ、労働意欲や雇用の促進に影響はあまりなかったものの、ストレスが軽減された事で幸福度が向上したという結果が出ています。
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