異世界 学園  死後の世界 ファンタジー 魂の学校  未練  解脱 ストーリー | ねじまき柴犬のドッグブレス

犬のかたちをした記憶-第二章:授業と実験-

2025年
Pocket

チャイムの音が、どこからともなく聞こえてくる。
現世にいたころと変わらない、ごくありふれた学校の始業チャイム──のはずなのに、耳に届いたその瞬間、なぜだか“音”というより“合図”のように感じられた。

教室の窓の外には、何もない。
いや、“白い”とすら言えない。そこにあるのは、色も形も失った余白のような空間だった。
それなのに、不思議と落ち着く。視界の端で風が揺れるわけでもなく、音も温度も気配もないのに、その無の中に漂っていることが、どこか懐かしくさえ思えた。

黒板の前に、長身の男が立っていた。
ぴしりと整ったスーツに、濃いサングラス。髪も靴も乱れひとつない。
表情は読み取りにくく、口元だけが淡々と動いている。

「早速だが、これから授業を始める」

乾いた声だった。よく通るが、どこか人間味に欠けていた。

「この場所は“存在平面”と呼ばれている。君たちは現世を離れ、今ここに、魂として仮滞在している」

“魂”という単語があまりにも自然に口にされるのを聞いて、高志はようやく自分がどこにいるのかをうっすらと理解しはじめた。

「君たちはこれから、自分が誰だったか、何を思ってここに来たのかを確認する。必要があれば“次の段階”へ進むこともできる」

彼の語りには感情がなかった。ただ、事実だけを並べているようだった。

男はチョークを取り、黒板に文字を記す。

教室の空気は白くぼんやりと霞んでいて、机に座った高志たちの表情はまだ戸惑いに満ちていた。

 教壇に立つキド校長は、黒板に淡々と授業名を書き出していく。

──存在論
──未練心理学
──現世観測
──境界実験

「さて、お前たちがここで学ぶのは、主にこの四つの授業だ」

 キドの鋭い声が教室に響いた。

「まず、『存在論』だが、これは自分がなぜこの世界に来てしまったのか、自分の魂の本質を徹底的に問い直す授業だ。自分が何者で、なぜ存在しているかを理解しなければ、この先には進めない」

「次に『未練心理学』だが、これは文字通り、自分が生前に抱いていた未練や執着を明らかにし、それを克服する術を学ぶ授業だ。お前たちが抱える感情のしこりを明確に認識し、それを解放しなければならない」

「そして『現世観測』。これはお前たちがまだ現世に残してきた人間や場所を観察し、自らの未練の根源を直視する授業だ。これは痛みを伴うことも多いが、目を逸らせばいつまでも未練は消えない」

「最後に『境界実験』。これは実際にお前たちが現世に干渉できるか、あるいは現世に戻ることが可能かを試みる、実践的な授業だ。成功確率は低いが、成功すれば未練を完全に断ち切る助けになるかもしれん」

キドはひと呼吸置くと、冷ややかな目で生徒たちを見渡した。

「これらの授業で単位を取り、最終的に『解脱の丘』を越えることが目的だ。その丘の向こうには未練のない魂だけが暮らす世界がある。そこへ移り住むことができれば、お前たちはこの世界から解放され、いわゆる『成仏』ができる」

「だが、逆に言えば、これらの単位を取得できない限り、お前たちは永遠にここで彷徨い続けることになる。存在平面にとどまり、成仏できず、解脱も果たせないまま、永遠に未練という鎖に繋がれ続ける」

教室が静まり返った。誰もが息を呑み、自らの未来を想像していた。

「……まあ、せいぜい頑張るんだな」

キド校長は短く言い放つと、鋭い足音を響かせて教室を出て行った。

重苦しい沈黙が残された教室で、高志は沙梨の方を見た。彼女は窓の外をぼんやり眺めながら、小さくため息をついていた。 

「この四科目を、順に履修してもらう」

その言葉と同時に、教室の空気がかすかに振動した気がした。
生徒たちは皆、机の中からノートとペンを取り出し、淡々と書き写していく。
誰ひとり、驚いたり騒いだりしない。まるでみんな、ここに来ることを知っていたかのように。

「“未練心理学”って、いかにもありそうで、なんかイヤな響きだね」

ぽつりと隣から声がした。

沙梨だった。
彼女はノートを開きもせず、肘をついたまま窓の外──何もない余白を眺めていた。

「別に勉強しなくても、未練のある人の顔って、すぐわかるでしょ? こういう、ね」

そう言って、彼女は高志の顔を指さすようにしたが、すぐに茶化すような笑いに変えた。

「……でも、まあ、真面目そうだし。授業、ちゃんと出るんでしょ?」

その言葉に返す声が見つからず、高志はただペン先を見つめていた。
“真面目”──それは、いつの頃からか言われなくなった言葉だった。
でも、彼女に言われると、妙にくすぐったかった。

沙梨の声は軽やかで、浮いているようで、それでいて、時折どこか刺さるような響きを持っていた。
まるで、彼女自身もこの世界に本当に馴染んでいるわけではない、と言っているような。

その日の授業は、「存在論」の基礎から始まった。
“存在とは何か”“個とは何か”“記憶が人格を形作るのか”──そんな問いが、黒板に淡々と並べられていく。

けれど高志は、目の前の文字を追いながらも、心のどこかでずっと、ひとつのことを考えていた。

──つまり、俺は死んだってことか──

コメント

タイトルとURLをコピーしました