母の死 美空ひばり 川の流れのように | ねじまき柴犬のドッグブレス

青いせせらぎをききながら

2023年
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母が今日永眠した。朝、兄からの電話で起こされて知った。数日内には死んでしまうだろうと聞いていたので驚きはしなかった。すぐに施設まで駆けつけた。幸い霊安室に運ばれる前だったので最後のお別れが出来た。予想通り、泣くことはなかった。兄達も同様で、冷静に今後のことを考えていた。

葬儀の日程が立て込んで、明日にならないと決まらないと言われたので、明日は会社に出ようと思ったが、さすがに自分は平気でも同僚は気を遣うと思ったので出社はしないことにした。その代わり実家に行って兄と母の遺品の整理をして帰ってきた。

兄とは生前の母についてとりとめ話をした。明るくて人当たりのいい人だったがデリカシーがなく、人を傷つけることをズバズバ言う人だった。母には申し訳ないが、はっきり言って悪口が多かった。問題の多い人だった。兄といるときは僕に対する愚痴を僕といるときは兄に対する愚痴をいうような人だった。半痴呆状態になっていたのに最後まで僕たちの忠告を聞かず、医療施設に入ろうとせず自宅で一人で住むと言い張っていたので余命が短いと知りながら最後まで言い争いまでしていた。

でも根本的に憎めない、愛すべき人だった。だから僕たち兄弟はそれぞれ貴重な時間を割いて、母の世話を交代で一生懸命してきた。

僕は最後に母に会ったときはすでに意識はなかったが、美空ひばりさんの歌や昭和歌謡のヒット曲を枕元で流していた。曲をかけると心なしか穏やかな顔になったような気がしていた。意識があるときにずっとすき焼きが食べたいと言っていたのですき焼きをまた食べようねとか、母が好きだった磯辺焼きを食べようねとか話しかけていた。当然返事はなかったけど。

今日、家に帰ってきてからも母の写真の前にビールグラスをおいて乾杯して僕も一杯やりながら美空ひばりさんの川の流れのようにをリピートでかけ続けて今、このブログを書いている。この時間の流れ、この感覚はおそらく僕の人生で最初で最後のものになるんじゃないかと思う。でもうまく表現できない。ただただ自分の表現力のなさがもどかしい。不完全な文章だけど、今、どうしても書きたかった。

川の流れのようにおだやかにこの身をまかせていたい
川の流れのように移りゆく季節雪どけを待ちながら
川の流れのようにいつまでも青いせせらぎをききながら

僕もそんな生き方がしてみたいと思った。できるものなら。

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