星野源 仲間はずれ LIGHTHOUSE | ねじまき柴犬のドッグブレス

星野源さんのアルバムを聞くようになった

2024年
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こんにちは、柴犬です。最近、星野源さんのアルバムをサブスクでよく聴くようになりました。実は今まで、気に入った曲は単発で聴いたり、カラオケで歌ったりしていましたが、アルバム自体を丸っと聴いたことはなかったんです。

では、なぜ聴こうと思ったかというと、NHKで深夜にやっていた「おげんさんのサブスク堂」という番組を見たのがきっかけです。これはおげんさん(星野源)と豊豊さん(松重豊)さんがゲストを迎えてそれぞれ自分の好きな音楽について、私生活のエピソードも交えて語り合う番組なんですが、これがまた、方向性がなく自由奔放で面白かったんですね。これを見てしまうと、次の日、会社行くのやめようかと思ってしまうくらいでした(^_^;)

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ジャンルは洋楽、邦楽、アニメ問わず、時代も1960年代くらいから現代まで、ロックやラップやジャズまで何でもありという状況で、何しろ今まで聴いたこともないような曲ばかりでした。それまでUKロックなどのいわゆるロックンロールばかり聴いていた自分にとってはこんなに知らない世界があったんだと驚くばかりで、正直、偏っていたな~と思いましたね。(>_<)

それでも、その曲を検索して落としてみたかというと、やっぱり自分の中で響く曲というのはもう固まってしまっていて、そうはしなかったんですが、唯一、星野源さんのアルバムだけは改めて聴いてみたいと思いました。きっかけは番組内で放映された「仲間はずれ」という曲をライブバージョンで聴いたことです。これは『LIGHTHOUSE』というアルバムに収録されています。

この曲はラップ調で格好いいのですが、歌詞を含めた世界観も確立されている気がしました。番組の中でご自分でもこう仰っていました、自分の心の中には幼い頃から「深い闇」があると。歌詞の中で特に印象に残ったのは下記です。

仲間はずれありがとう
切り捨てられて気づくと
自由を手にしてる
出会う 掛け替えのない個

誰しも家族や友人、大きな意味では社会から承認されたいし、共感しあいたい。でもそれが叶わないときにどうするかなんですが、自分を殺して相手に迎合するわけでもなく、逃避するわけでもなく、自分を否定する存在と戦うわけないでもない。ただただ自分が唯一無二のものとしての存在している事に感謝をしている。

歌詞だけ読み取るとこの曲は新しい視点で、さばさばと割り切って前に進もうとする姿勢を感じますが、それはそんなに簡単なものなのかと疑問に感じました。その裏側にあるものはやはり戦いではなかったのかと。

大雑把な比較で申し訳ないですが、例えばブルーハーツがありのままの自分でいることを排除しようとするもの、矛盾を感じているものに対してストリートファイトを挑んでいるのに対して、源さんは自分の部屋から一歩も外に出ようとせず、ひたすらシャドーボクシングをやっている。シンとした真っ暗な部屋の中で灯も点けずに、心と体を削り、血と涙にまみれながら戦っていたのは世間ではなく自分自身。そんなイメージが浮かんできました。これは外に出て戦う事とは違う意味で、とても辛く孤独な行為だと思います。

部屋から一歩も外に出ないことで、世界観を確立している。もちろん、美しいと思う詩的表現やポップなメロディの曲はたくさんありますが、背景には全て「深い闇」を感じ、またそれを巧妙にオブラートに包んでいるように思いました。

ところで話は変わりますが、源さんの曲には個人的なエピソードがあります。数年前に付き合っていた彼女とヒドイ別れ方をして、逃げるようにして一方的に同棲を解消したのですが、その後彼女からかなり執拗にLineで恨み言を言われてきました。それは数ヶ月に渡り、僕のメンタルは本当にズタボロになっていたのですが、その時に源さんの曲のYouTubeのURLが数曲送られてきました。

すでに履歴は抹消しており、具体的な曲名は覚えていませんがその時に添えられていたコメントが「この曲を聴いて、もっと人間として真っ当になれ!」みたいなことが書いてありました。当時の僕としてはもう彼女と一切関わりを持ちたくないと思っていたし、曲を聴いてみても全く響かなかったので正直にコメントを返しましたが、それが彼女にまた火を点けたのか、さらに僕への誹謗中傷はエスカレートしその後は惨憺たるものでした。

そもそも彼女は、韓流ドラマが大好きでそれを僕に半ば強制的に見せようとしたり、「魔女の宅急便」を一緒に見ているときに、退屈したのか途中で寝てしまうような人でしたので、僕からすると「お前こそ、まともな感性を持っていないじゃないか!」と言いたいくらいでしたが、ただそれは個人の嗜好の問題で、どうこう言える事ではないので僕は黙っていましたが。

だから、今、源さんの曲を改めて聴こうと思っている自分が不思議でなりません。もちろん別れた彼女と縒り戻したい、言われた意味を考え直そうという気はさらさらありません。そして源さんの多くの曲は今でも僕にとって、ガリレオ風に言えば「さっぱりわからない」です。(^_^;)まだ源さんの籠もっている部屋の扉くらいしか見えていない気がします。

じゃあ、何で聴いてるのかな?って考えみるとおそらく僕も源さんのように、視点を変えて物事を見てみたいとからなんだろうなと思います。水平線を逆さに見れば、空が海に海が空のように見えてくるかもしれない、有名なだまし絵のように角度を変えてみたら婦人が老女に、アヒルがウサギに見えてくるかもしれない。今まで当たり前だと思っていたことをちょこっと疑ってみる。それを繰り返していく事で、自分の本当に思っていたこと、やりたかったことって別にあったんじゃないかって感じたからです。

そして明日も僕は、きっと源さんの曲を聴きながら通勤します。いつか、この難解なパズルが突然解けて「実に面白い」と思える日が来るのを気長に待ちながら。

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