犬のかたちをした記憶 第十七章『記憶の海を渡る者』| 絶望の三人を救う謎の少女 | ねじまき柴犬のドッグブレス

犬のかたちをした記憶-第十七章:記憶の海を渡る者

2025年
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──絶望に沈む三人を救ったのは、謎めいた少女だった

キドが去ってからどのくらいの時間が経過しただろうか?高志たちはすっかり押し黙っていた。キドに見せられた未来観測は、思い描いていた未来とは全く異なるものだった。まさに絶望…。しかも周囲の人間まで巻き込んで不幸にするものだったとは…。

「さて、問題は、どこまでキドの見せた未来を信じるかだが…」

亮司が重い口を開いた。

「修、お前は信じられるのか?」

修は首を振った。

「ボクには分からないよ…。でもどこかで、結婚なんて一生できないと思っていた。だから、否定はできない…」

「そうか。実は俺もそうだ。あの未来を認めたくはない、でも否定もできない。会社の連中とは遅かれ早かれ、揉め事が起きると思っていた。もちろん、最後にはわかり合えると信じてもいたんだけどな…。高志、お前は……その、どう感じてる?」

高志は亮司の言葉にすぐに反応することができなかった。何かを言いかけると、キドに指摘された『適応障害』という言葉が頭に浮かび、思考を遮ったからだ。
不思議なことに、この『存在平面』に来てからは、そのことは全く忘れていた。だからこそ、亮司たちとも気兼ねなく親交を深められたのだが…。

「ご、ごめん。俺、何を言ったらいいか分からなくて…。キドの見せる未来は絶対じゃない、必ず未来を変える方法があるとか、希望を捨てちゃ駄目だとか、偉そうなこと言ってたよな。でも、もう俺自身が、自分を信じられなくなっちゃったんだ…」

「高志、どうした?俺たちと違ってお前には紬ちゃんがいる。助けを求めてるんだろ?諦めるのか?」

亮司が慰めるように言った。

「そうだよ、高志君。君はボクたちとは違うんだ。ボクたちの分まで頑張って…」

修も励ますように言った。

「無理だよ。俺は人の気持ちが分からない、『心が通わない』人間なんだ。キドに現世を見せられて思い出したよ。そんな人間に娘を救えるわけないじゃないか…」

高志は項垂れて首を振った。

「何で、そんなことが言い切れるのかしら?『心が通わない』人間にしか分からないことだってあるんじゃない?」

その時、突然、沙梨の声が聞こえた。


「沙梨?来てるのか?どこにいるんだ?」

高志がそう言うと目の前の光が、急にすべて剥がれ落ちた。眩しさに思わず目を閉じると、そこには麦わら帽子姿の沙梨が立っていた。

「眩しい…いきなり外さないでくれよ、沙梨」

高志はたまらず呻いた。それから沙梨は全員のVRゴーグルを外して回った。

沙梨はいつもと変わらぬ笑顔を浮かべ、3人をしげしげと見つめていた。

「やれやれ、みんな、何て顔してるの?未練組は本当に負け犬クラブになっちゃった?目を覚ましなさい。…でも、みんなのそういう顔、ちょっと見たかったかもね」

沙梨はそう言ってクスッと笑った。それからスコップを手に取り、それぞれが入っている穴の砂を取り除き始めた。始めに高志が穴から引っ張り上げられた。その後、高志も亮司と修を穴から出すのを手伝った。砂は軽かったのでそれほど重労働ではなかったが、砂漠の太陽と風に晒されていたせいか喉がカラカラに渇いていた。

「沙梨、何か飲み物を持ってきてないか?」
高志が思わず聞いた。

「あるわよ。そう言われると思って、コンビニで買ってきたの」

沙梨はそう言って、コンビニの袋を差し出した。中にはミネラルウォーターやお茶、スポーツドリンクが数本と菓子パンやスナック菓子が入っていた。3人は思わず歓声を上げ、勢いよくペットボトルを開け、飲み始めた。

「本当は喉が乾くのもお腹が空くのも『ただの記憶』なんだけどね」

沙梨は、その様子を眺めながら小さく呟いた。

「さあ、学校に帰りましょう。こんな所に長居は無用よ」

ひとしきり三人が飲食を終えたところで沙梨が言った。

「それはいいけど、どうやって学校まで帰るんだ?ZENが使えないから瞬間移動はできないんだぞ」

亮司が尋ねた。すると沙梨は後ろを指差した。

「これで学校まで帰るのよ、なかなか良いでしょ」

後ろにあったのは、手こぎトロッコだった。シルバーの車体が光を放ち、妙に清潔感があった。まるで遊園地の新しいアトラクションのようにピカピカだった。

「まじかよ…まさかこれで帰るってのか?」
高志が思わず呟いた。

「ボク、腕パンパンになる未来が見えるんだけど…」
修が嘆いた。

「存在平面だから、きっと物理法則が違うんだろ…多分な、分からんけど…」
亮司だけが、少し冷静な口調で言った。


おそるおそる乗り込んだ三人に、沙梨は明るく言った。

「じゃ、出発〜!風を感じて!嫌なことはみんな吹き飛ばしちゃいなさい!」

沙梨が車止めを外し、蹴り出した瞬間、トロッコは空気を裂くように走り出した。車輪は軽やかに跳ね、風を巻き上げながら駆け抜けていく。

「なにこれ…速っ!」

「おい、沙梨っ!ブレーキは!?」

「そんなのないわよ〜!だから、しっかりつかまっててね!舌嚙んじゃうわよ」

風に髪をなびかせ、沙梨は笑っていた。

砂漠とは思えない、まるで高原の朝のような冷たい風が頬を撫でていく。速度に反比例するように、トロッコを包む空気が軽くなっていった。

「ここ、存在平面の”境界”だから」
沙梨が前方を見据えたまま説明する。

「生と死の間の世界よ。だから、においも、音も、温度も、だんだん消えてくの」

その間、高志たちは、トロッコから振り落とされないように、トロッコのハンドルに必死にしがみついていた。不思議なことに風や砂は、何の抵抗もなく粒子のようにただすり抜けていった。
外界と自分との境目がもはや分からなくなっていた。

やがて、視界がぐにゃりと歪み、様々な風景が現われた。

子供達が無邪気に走り回る保育園。
オフィスタワーの会議室。
賃貸住宅のリビング。
紬が籠っていたカーテンで仕切られた薄暗い部屋。

三人の未来観測の”記憶”が断片のように現れては、スライドショーのように消えていった。

「沙梨、今、俺たちは、どこを通っているんだ?現世なのか?」

「ただ、記憶の海を通過してるだけ。現世に向かっているわけじゃないのよ」

沙梨がぽつりと言うと、トロッコが急に減速した。ごとん、ごとん、ごとん…と、まるで夢から覚める寸前のような、ゆっくりとしたリズムに変わる。

やがて、トロッコが完全に止まり、気が付けば校門の前にいた。

「さあ、着いたわよ」

沙梨が、ぽつりと言った。


トロッコの速さと記憶の海の光景を見たショックで、皆、呆然としていたが、亮司が不意に疑問を口にした。

「沙梨、ひとつ聞いていいか?どうして、俺たちが砂漠にいるってことが分かったんだ?迎えに来るタイミングも妙に完璧だったし」

それは皆、同様に不思議に感じていた事だった。修も恐る恐る尋ねた。

「まさか、ボクたちが砂漠に連れて行かれる事を知ってたの?」

沙梨はしばらく黙っていたが、やがて答えた。

「…キド先生に頼まれたのよ。あなた達を砂漠に埋めるから、少ししたら”迎えに行ってやってくれ”って。でも、なぜ埋めたのかまでは聞いてないわ」

亮司が眉をひそめ、じっと沙梨の目を見据えた。

「まさか……お前、それ、キドの監視役ってことか?」

沙梨は肩をすくめて、くすっと笑った。でも、その笑みには、どこか痛みのようなものが混ざっているように見えた。

「さあ、どうなんだろうね。でも…私にもいろいろ事情があるんだよ。ただ…今は、言えない、言いたくないんだ…」

そう言って、彼女はトロッコの端に腰を下ろした。

「迎えに行くのをやめようとも思ったんだよ…そしたら監視役って疑われるのは分かってたから…」

「じゃあ、なんで来たんだ?」

高志が問う。沙梨は少しだけ口ごもり、そしてぽつりと呟いた。

「…未練組の未練が『どんなかたち』になったかを知りたかったからかな…」

その言葉は、からかうようにも、寂しさをごまかすようにも聞こえた。

空はまるで何もなかったような顔をして、また今日が始まるみたいに見えた。でも、その向こうで何かが静かに動いているような気がした。

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