犬のかたちをした記憶 第23章「記憶の海を越えて」君の記憶に触れる、その一瞬のために|連載小説 | ねじまき柴犬のドッグブレス

犬のかたちをした記憶 ― 第二十三章:記憶の海を越えて

2025年
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——君の記憶に触れる、その一瞬のために

トロッコは暗闇の中を静かに走っていった。薄い靄が立ちこめており、前方に何があるのかは全くわからない。かなりのスピードが出ていたが、沙梨と高志は黙々とシーソーハンドルを漕いでいた。

「この前は未来観測の”記憶”が断片みたいに現われたけど、今日は全く出てこないな…」

高志が独り言のように言った。

「記憶の海ね。あれが現われるのは乗っている人の記憶が混乱しているときだけ。私たちは今、混乱していないでしょ?お互いの欲しいものがはっきりしている」

沙梨はボソッと言うとすぐに黙った。二人の間に重い空気がまた漂った。

―お互いの欲しいもの?―

沙梨は、一体何を望んでいるんだろう。もし、この世界で俺と一緒に生きていきたいと思っているなら……そんなに嬉しいことはない。でも、本当にそうなのか?

俺の知っているサリーは、もっと無邪気だった。目をキラキラさせて、俺の帰りを玄関で待っていてくれた。でも今の沙梨は違う。キドのもとで過ごした年月が、彼女から何かを奪ってしまったのかもしれない。懐かしい顔のまま、心の奥はもう、霧の中に隠れている気がした。

◇ ◇ ◇

「そろそろ、着くわよ。だけど、少し手前でトロッコを止めるから、そこからは線路沿いを歩いてね」

沙梨が淡々とした口調で言った。

「え、何で?一緒にこないのか?」

「私はそこで降りる…。だって砂漠でキド先生に会ったら、あなたの邪魔をしなきゃいけなくなるでしょ?」

高志は頷いた。それからトロッコは徐々にスピードを落とし、音もなく止まった。

「これでお前とは本当にお別れなのか?」

高志は沙梨に聞いた。

「それは、これからのあなたの行動次第ね。でもね、紬ちゃんと会えたら、きっともう私とは…」

沙梨はそう言って言葉を詰まらせた。

「お前の言っている意味が俺には、分からない…。でも最後にはきっと何もかもうまくいく。俺もお前も亮司も修もみんな、幸せになれる。俺はそう信じているし、そうしてみせる」

高志は、そう言って沙梨をそっと抱き寄せた。沙梨は嗚咽しながら無言で寄り添っていたが、突然、高志を軽く突き放した。

「さあ、もう行きなさい。ねぇ、高志、後悔しない決断をしてね。私は助けてあげられないけど、遠くで見守っているわ」

「ありがとう、沙梨、いやサリー。俺は紬に会えたら絶対にもう一度お前に会いに行くよ。約束する」

高志はそう言って、トロッコを降り、線路の上を歩き始めた。沙梨はそれをただ呆然と見送っていた。

◇ ◇ ◇

薄い靄の立ちこめる砂漠の視界は最悪だった。高志はいつキドに遭遇するかもしれないと、警戒しながら歩き続けた。

しばらく歩くと、以前見た、金網のフェンスが見えた。ようやく以前来た場所にたどり着いたようだった。

亮司によれば、ここに俺たちの本当の魂が眠っているという。現世にアクセスするには、この場所が鍵になるらしい。

金網の手前まで来ると不意に車のクラクションが聞こえた。

「よう、遅かったじゃないか。待ってたぞ、高志。沙梨は?一緒じゃないのか?」

それからキドの声が聞こえた。声の方に近づくと、キドは煙草をふかしながら、ジャガーの車体に寄りかかり不敵な笑みを浮かべていた。

「沙梨はいないよ。あんたの手伝いはもう、うんざりだそうだ」

「ふん、せっかく人間にしてやったのにな。恩知らずが…。あいつの役割も終わりだな。犬に戻してそろそろ代わりを探すか…」

キドは顔をしかめて不快そうに言った。

「キド先生。頼むから俺をこの中に入れてくれないか?大事な娘が待っているんだ」

「…高志、お前、まだ分からないのか?お前が生きていることで、お前の妻も娘も不幸になるんだ。散々、観測してきただろ?修も亮司もそれが分かったから俺のところに来たんだ。お前は本当に良いときに死んだんだよ」

キドはあきれ顔でそう言った。

「いや、それは嘘だ。娘は、紬は全然幸せになっていない」

◇ ◇ ◇

高志がそう言うとキドはジャガーの助手席から無造作にタブレットを取り出した。傷だらけの画面には、無機質な映像が並んでいた。

「ほら、これが証拠だ」

タブレットをスワイプしながら、キドは飄々と語り出した。

「お前の娘は、高校受験の日、感染症にかかったんだ。それで志望校に落ちたんだよ」

画面に映る少女は、病的なほど青白い顔をしていた。俺の娘だった。間違いない。

「そこは、中学時代の仲良しグループと一緒に行こうと約束していた学校だった。だが、お前の娘だけが落ちて、別の高校に進んだ」

次の映像では、紬が一人で昇降口に立っていた。周りに友達の姿はない。

「どうやらクラスに馴染めなかったようだな。それで引きこもりになったんだよ」

俺の胸が締めつけられた。映像の中の紬は、俺の記憶にある娘じゃなかった。俯いたまま、まるで声の届かない場所にいるようだった。

「それでも、立ち直るのにそんなに時間はかからなかった。子供ってのは柔軟性があるんだな、それに家族の支えもあったからだろう。また学校に通うようになって、大学では仲良しグループとまた同級生になれたんだ」

キドは淡々と話し続けた。

「人生は帳尻が合うようにできてる。でも、お前が生きていたら、それどころじゃなかった。もっと複雑なことが起きて、不幸になっていたんだよ」

「やめろ、そんな話は聞きたくない。まだ起きていない未来のことなんてどうでもいい。大切なのは、今、紬が俺に会いたがっているってことだ。その邪魔は誰にもさせない」

「高志、冷静になって考えろ。今さら会ってどうする?お前、それで生き返って、また家族で暮らせるとでも思ってるのか?」

キドは煙草を地面に投げ捨てた。

「残念ながら、そんなことはできない。せいぜい干渉することくらいだ、さながら幽霊みたいにな。『境界実験』っていうのはそういうものなんだ」

「それで十分だ。俺は、今の想いを紬に伝えたら、その後は必ず成仏する。だからお願いだ。俺を娘に会わせてくれないか?」

高志はそう言って、キドの前で跪き頭を下げた。キドはそれを無言で見つめていた。

少しの間、沈黙があってキドが口を開いた。

「…諦めの悪い奴だな。困るんだよ、そういう奴がいると」

キドは車から何かを取り出した。

「お前は輪廻転生って知ってるよな?授業でもやっただろ?」

「魂は死んでも終わらず、また別の体に生まれ変わって生き続けるってやつか?」

「そうだ。そのサイクルを管理してるのが俺だ。お前が娘に会うと、ちょっとやっかいなことがあってな」

キドの手にはスタンガンのようなものが握られていた。それは修を陥れたときと同じものだった。

「それが、お前の本音か?そんなのお前の勝手な都合じゃないか?」

「勝手な都合?」

キドは薄笑いを浮かべた。

「お前には分からないだろうな。因果律を変えることは誰にも許されないんだ」

「お前の言うことは信じられない。とにかく通してくれ、俺はどうしても…」

◇ ◇ ◇

高志がそう言って体を起こそうとしたとき、体に激しい衝撃が走った。そして急速に意識が遠のいていった。

「な、何をしたんだ、キド…俺はどうしても紬に…」

「諦めるんだな。さて、こいつが寝ている間に一仕事済まさないと」

キドは不敵な笑みを浮かべた。

「高志――次に目を覚ましたとき、お前は全部忘れてるよ。名前も、願いも、娘の顔もな。でも、それでちょうどいい。ゼロから始めろ。今度は、余計な夢を見ずにな」

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