大学生の時、叔母(母の妹)夫妻の家(カナダのトロントにあった)に夏休みにホームステイをしていたんだけど、会うのも初めてでかなり遠慮していた。個室もなく英語しかできない従兄弟と同じ部屋に寝泊まりしていて、言葉も通じないし従兄弟は僕が英語をできないことを理解していなくて「なんで人の言うことを聞いていないんだ!」みたいな理不尽なことを言われて、なかなか緊張感も取れないでいた。それに元々、お腹が弱かったせいもあったけど食事も合わなくてしょっちゅうお腹を壊してもいた。
それでもなんだかんだいって、従兄弟とは一緒に近くの湖に毎日のように泳ぎに行ったり、ベースメント(地下室)にある卓球場で遊んだりしていた。叔父と二人でベースメントでこっそり煙草を吸ったり(リビングは禁煙だった)するのも楽しくて、だんだんリラックスできるようになってきた。
平日は叔父、叔母とも働いていて市街地には車で一時間以上かかるので一人で外出はできなかったけど、週末はナイヤガラの滝までドライブに行ったり、現地の日本人同士が集まっておこなうバーベキューパーティー連れて行ってもらったりした。パンも肉も全て炭火で焼いたハンバーガーは自分でレタスを挟んだり、ケチャップをかけたりして食べたけど表面がカリッとして中がジューシーでとても美味しかった。
夏のカナダ最高に気持ち良かった。日差しは燦々としているけど湿気がないので、何しろ外にいると気持ちが良い。田舎だから木々が多くて空気も澄んでいた。ドライブはハイウエイを時速100キロくらいで走っていたけど、前にも後ろにも車が走っていなくて僕にも運転できそうな道でストレスが全くなかった。真夏だったけど窓を全開にしていたら、気持ちの良い風が入ってきてエアコンもいらないくらい快適だった。
だんだんカナダの生活に慣れてきたとき、バーベキューパーティーのあとビールを飲んだ酔い覚ましにふと一人で芝生の上を歩いてみた。じりじり照りつける太陽、目の前にはたくさんの木々が生い茂ってカラッとして心地よく涼しい風が芝生の匂いを運んでくる。日本みたいに蝉の鳴き声は聞こえず、あたりは静寂に包まれていた。試しに思いっきり空気を吸い込んでみると、今までに感じた事のない解放感があった。
その時にそれまでぼくがどれだけ緊張して生きていたかが分かった。両親が離婚して家庭が崩壊してから、ずっと心の中に抱えていて癒えなかった傷、コンプレックスや人と自分を比べてしまう自意識がすっと消えていった。一歩足を踏み出すごとにまだ傷一つない、生まれたての真新しい自分に戻っていくような気がした。
いつもこんな気持ちで生きていられたらいいなぁ、人ともめ事を起してイライラしたりせず、他人にどう思われようと気にせずに幸せに生きられるだろうなぁと思った。でも残念ながら、こういう瞬間自体が特別なものなんだと後で解った。きっと、20代前半のあの時、あの場所でしか得られないものだった。例え今、カナダに行ってもあの時の感覚は得られないだろうと思う。おそらくは僕の人生で最初で最後の貴重な体験だった。
もう二度と戻っては来ない瞬間だけど、このブログに書くことで少しでも思い出せて良かったと思う。
※表現上、「解放感」は、束縛が解かれて自由になったような感覚。「開放感」は、戸などが開け放たれてオープンになったような感覚となっています。僕の場合は明らかに前者でした。
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