犬のかたちをした記憶|第18章:耳を伏せて – 涙の告白で明かされる衝撃の真実 | ねじまき柴犬のドッグブレス

犬のかたちをした記憶-第十八章:耳を伏せて

2025年
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──ずっと、あなたを待っていた──

「私はこのトロッコを倉庫まで運ばないといけないから、先に教室に戻ってて」

沙梨はそう言って、静かにトロッコを押し始めた。
亮司と修は頷き、教室へと戻っていったが、高志は立ち止まったまま沙梨を見つめていた。

「お前一人じゃ大変だろ。俺も手伝うよ」

沙梨は驚いたように目を丸くした。

「……私ひとりで大丈夫よ」

それでも高志の眼差しに何かを感じ取ったのか、それ以上は何も言わず、二人は並んで歩き出した。

トロッコの線路は、体育館の裏を回り、倉庫へと続いていた。
扉は開いていて、すぐに中へと格納できた。二人でカバーを掛け終えると、静けさが残った。

「……ありがとう、手伝ってくれて」

沙梨がぽつりと呟いた。その声音には、どこか探るような響きがあった。

「それで、高志。何か聞きたいことがあるんじゃない?」

「……監視役なんじゃないかってことなら、今はいい。聞きたいのは、あの時の言葉だ」

沙梨は眉をひそめた。

「どの時の?」

高志はゆっくりと言葉を選んだ。

「俺が『人の気持ちが分からない人間だから、娘を救えるわけがない』って言った時、
沙梨……お前はこう言ったよな。
『心が通わない人間にしか分からないこともあるんじゃない?』って。その言葉の意味が、
ずっと分からなくて……教えてほしい」

沙梨は目を伏せて、少しの間沈黙した。

「……その答えは、自分で見つけないと意味がないの。
それに、言葉にしてしまうと、きっと嘘になる」

「なあ、沙梨。これはとても大事なことなんだ。俺にとっても紬にとっても…」

沙梨はため息をひとつこぼし、倉庫の隅に目をやった。

「ねえ、『心が通う』って、どういうことだと思う?」

「え、そ、そうだな……言葉が通じること。感情を分かち合えること。そういうことじゃないか?」

「じゃあ、言葉の通じない相手とは?犬や猫、観葉植物とは?
それでも、私たちは『心が通った』って感じるときがあるわよね?」

高志はその言葉を聞いて、遠い記憶を手繰るように目を細めた。

「……昔飼ってた犬がいた。唯一、何でも話せる存在だった。俺には子供の頃、友達なんていなかった。本当に心を許していたのは、そいつだけだった気がするんだ。本当に色々なことを話すことができたよ。もちろん、言葉が通じていたかは分からないけどね。それでも俺たちはお互いに『心が通っている』と信じてた、いや、今でも信じている」

そこまで言ったとき、沙梨がふいに顔を伏せた。
小さく肩が揺れ、泣いているのが分かった。

「沙梨、どうしたんだ!俺また何かしちゃったか?」

「……やっと、思い出してくれたのね」

「え……? 何を?」

「その犬の名前、覚えてる?」

「……サリー。メスの柴犬だった」

沙梨は顔を上げ、高志の目をまっすぐに見つめた。

「それ、私よ。私が、サリー」

高志の思考が、一瞬、時間から取り残されたように止まった。

「……え? 沙梨……サリー……?」

「そう。あなたが来るのを、ずっとここで待ってたの。
でも待たせてもらうのには条件があった。未練組が発生したら、
その動向を報告すること。それが、キド先生との約束だった」

記憶のなかのふわふわとした毛の感触、甘えた鳴き声。
すべてが一気に蘇り、高志の中でなにかが弾けた。

「……信じられない……けど、なんか……」

沙梨は静かに言った。

「すぐに信じられなくていい。でもね、あなたはちゃんと心を通わせていたのよ、犬の私と。
だったら紬ちゃんともきっと……」

「でも、紬は多感な女子高生だ。人間の娘だよ……」

「じゃあ、犬には心なんてないって言いたいの?」

沙梨の目が、少しだけ怒ったように細められた。

「ち、違う……。ただ、紬は複雑で、言葉があっても気持ちが伝わらないことが多い年頃で……」

「だからこそ、あなただって分かるはずよ。周囲とうまく繋がれなかった自分の過去を、
もう一度思い出して。
『心が通わない』と思ってる人間こそが、ほんとうの声を拾えることがあるんじゃない?」

沙梨が言ったことを考えてみた。確かに周囲から浮き上がって孤立した人間の気持ちは、痛いほど分かる。沙梨の言う通り、「心が通わない」者同士だからこそ分かり合えることがあるのかもしれない。

「……そうだな。まだ何も分かってないかもしれない。でも、向き合ってみるよ」

高志がそう言うと沙梨は、涙を制服の袖で拭って微笑んだ。

「そう。それでいいの。あとは、自分で考えてみて。……私との約束もね」

「……約束?」

「ふふ、それはもうちょっと先に思い出して。じゃ、戻りましょ」

倉庫の扉を閉めると、二人は並んで教室へと戻った。

教室には、修だけがぽつんと残っていた。亮司の姿はなかった。

「亮司は?」

「さっき、消えたよ。シャットダウンしたみたい」

沙梨も、疲れたように小さく息を吐いた。

「私も今日は……シャットダウンしようかな、おやすみなさい」

「そうか、じゃあまた明日……」

高志がそう言いかけた時には、もう沙梨の姿はなかった。
高志たちは、その日の用事を終えると、それぞれに姿を消した。

家に帰るわけではない。ただ消えるのだ。意識がふっと途切れて、
気がつくと翌朝、教室の自分の席に座っている。

その間の記憶は一切ない。亮司が「まるでパソコンみたいだな」と
言ったのがきっかけで、いつしかみんなが『シャットダウン』と呼ぶようになった。
朝の始まりは『ログイン』。妙にしっくりくる名前だった。

高志は、亮司はもう今日の出来事で思考停止してしまい、自動的に
シャットダウンしたか、あるいは強制終了したのではないかと思った。

高志も、沙梨と紬の事で頭の中が一杯になっていた。
——沙梨がサリーって、本当にそうなのか?——

高志は、サリーとの思い出と今日までの沙梨との関わりが交錯し深く混乱していた。
今日はおそらく何も考えられないだろう、そう思った。

「俺もシャットダウンするよ、修、また明日な」

「うん、ボクもそろそろ消えるよ。またね」

修もそう言って、シャットダウンの準備を始めた。
やがて高志の視界は、ブラックアウトした。
漆黒の闇と沈黙が訪れ、高志を泥沼のような深い眠りに誘った。

まるで、電源を落とすように。
落ちる直前にふと──あの懐かしいモフモフとしたサリーのあたたかさを感じた。




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