隣の席 女の子  | ねじまき柴犬のドッグブレス

隣の席の女の子を好きになってしまう傾向について

2023年
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結構、恥ずかしいことを書こうと思う。

僕にはいつも隣の席の女の子を好きになってしまう傾向があった。その傾向は小学校くらいから始まり、社会人になっても続いた。彼女がいるときも結婚してからも。もちろんすべての女性を好きになってしまった訳じゃない。(それじゃ身も心ももたない…)

でも脈略もなくただ隣にいて話す機会が多いということだけで好きになってしまうことがとても多かった。ルックスや性格、趣味や話し方に惹かれてというのが理想的な恋愛だとすると僕の場合は明らかに後付けだった。どう考えても自分の好みのタイプじゃなく、相性もそれほど良くはなく、趣味も合わないだろうと思いながらじわじわと気になりはじめ気がついたら好きになっていた。それはなぜなのか?考えてみたがどうしてもわからなかった「恋ってそういうものなんじゃない?」というのが一般論かもしれないけど僕の場合はちょっと違う気がした。なんとなく解ったのは親和性とでもいうのだろうか?僕の場合は「好きになる=馴染む」んじゃないかと思った。


僕は男兄弟の四男という家庭環境で育った。そのせいか女性に免疫がなくまた極端な人見知りだった。それでも一度打ち解けると、男女問わずとことん深いお付き合いをしたくなる性格で、それが恋愛にも影響していたのかもしれない。白か黒しかなく中間がない。だから女性とお友達になるという感覚を持てなかったのかもしれない。また僕は隣席になった女性に、精神的に依存していたようにも思う。これは詳しくは書かないけど、僕の育ってきた少々歪だ家庭環境のせいかもしれない。

こういう傾向を持っていると異性関係については不幸だと思う。もちろん、そういう行き当たりばったりな恋もオーケーで問題なくこなせる人もいるかもしれないが僕には全く向いていない。本当は1人の女性を深く長く好きになっていたいと思っているのに困ったことに、そういう気持ちが長続きしない。ただ弁解がましいことをいうと僕は恋人や妻がいるときに、実際に浮気したことはなく、すべて心のうちに止めて終わりにしてきた。だから現実的に修羅場になったことはない。ただ隠し事が得意なタイプじゃないので恋人や妻には見抜かれていたような気がする。特に妻には精神的な迷惑をかけてしまった気がして、思い出すととても申し訳なくなる。

結論として僕はこの傾向をなんとか克服したいと思っている。これを読んでいて、「要は惚れっぽいんだよね?勝手な思い込みでのめり込んじゃって相手の中身をしっかり見ようとしないから痛い目にあってきたんじゃない?」と思われる方もいるかもしれないし、それはある意味、そうなのでしょう。

ただ僕はこのしょーもない傾向を自分の中にためこんでおくだけではなく、文章にして吐き出して誰かに伝えたかったんです。自分自身に対する一種の治癒行為として。

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