離婚 シックス・センス 透明人間 | ねじまき柴犬のドッグブレス

いつもあなたはそこにいない

2023年
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「いつもあなたはそこにいない。」

僕は妻にいつもそう思われていた気がする。例えばいつもの定番のバラエティー番組を見ながらご飯を食べていてそれぞれ思ったことを言ったり冗談を言ったりしていている時間。たいていは妻が喋り、僕がそれに答える。ちゃんと会話をしているし、かみ合ってもいる。コミュニケーションは成り立っているので現実的に僕はそこにいるはずだった。

それでも妻はそうは思っていなかったようだ。心当たりがあるとすれば、時々ここにいる僕自身が本当に僕という人間なのかわからなくなる時があったことだ。存在自体が希薄で、過去に起こったこと、今まで歩んできた人生や培ってきた人間関係自体にリアリティが失われてしまうような気分になることもあった。

ただそんな時でも僕は「僕はここにいるよ。」と一生懸命妻に伝えていた。お互いが大きな川の両岸にいるように感じるような時もあったけど、そういう時には最大限に声を張り上げて。雑踏の中で、騒音でかき消されそうな時には思いっきり大きな声で。その声が本当に妻に届いているかどうかは、最後までわからなかったけど。

でも僕は声が届いていなかったとしても、二人で一緒にいることの方が大事なんじゃないかと思っていた。例えお互いが空気みたいな存在だとしても、ぼんやりとした時間を共有していること自体が幸せなんじゃないかと。ただ妻にとってはそうではなかったのだろう。妻が求めていたのはおそらく妻や僕たちの未来に対する具体的な思いを伝え、具体的な行動を提案をしてもらう事だった。そういう意味では僕の心はシュールな世界から抜け出せずにいて現実に向き合っていなかった。心が傷むけれど現実逃避をしていたことは認めざるを得ない。

「いつもあなたはそこにいない。」

ある日妻は実際に僕にそう言って家を出て行った。いつまでも空気なんかと一緒にいられないと思ったのだろう。後悔もあるし教訓もあった。でも時間というものは平等だけれども残酷なもので取り返しがつかないことがある。だから僕には妻を引き留めることは出来なかった。もう僕が妻に与えられる物は何もないと感じていたから。

もちろん、やり直しが出来ることだってまだある。だから今度はどうか君の声を雑踏の中でも聞き分けられる人、人間としての存在や魅力を感じられると一緒になってくださいと妻には伝えたかった。でも僕からしたら羨ましいほどのバイタリティと生命力を持っていた妻には、その心配は無用なんだろうなと思ったから実際には言葉にしなかった。むしろ半透明人間の僕と暮らしていける人がこれからいるんだろうかと逆に心配されていたのかもしれない。そう考えると少し悲しくなる。

でも、これから僕はもう君の声は聞かないことにする。

だって僕は透明人間じゃないから。怪我をすれば血も流れるし、悲しい事があれば涙だって流す。毎日会社にだって行っているし、愚痴も言うし、若い女の子につまらない冗談を言ってあきれられたりもする。スポーツジムに行って汗をかいてジャグジーで癒やされて帰ってきてビールを飲むとすごく美味しいし、その後に食べるご飯はコンビニのご飯だって美味しく感じる。一人カラオケに行って4時間も歌って帰ってきてスッキリするけど、DAMの採点が悪いと悔しいし、すっかり声が枯れて疲れ切って後悔する日もある。シックス・センスのブルースウィルスとは違って僕はちゃんと生きているから。

そしてこれから巡り会えるかどうかは別として、僕の姿が見える人、僕の声が聞こえる人だってきっとどこかにはいるだろうと信じている。その可能性を少しでも広げたくてこのブログを今日も僕は書いている。

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