「光の向こうに、君がいる」第26章 | 泣ける感動SF小説 | 犬のかたちをした記憶 | ねじまき柴犬のドッグブレス

犬のかたちをした記憶 ― 第二十六章:光の向こうに、君がいる

2025年
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たったひとつの願いが、世界のすべてを揺るがすとしても——

その後、キドはシナプスによって拘束された。手足は光の輪のようなもので縛られていた。

「お前はこれから法廷で裁かれることになる。言い逃れはできない。何しろ、AIの俺がすべての証拠を記憶しているからな」

シナプスの冷静な声に、キドはふてくされたように目を逸らした。だが、シナプスの視線はすぐに高志へと向けられた。

「さて、本題だ。高志、現世にアクセスする覚悟は本当にあるのか?」

その言葉に、高志は即答できなかった。胸の奥で、キドのあの言葉が重く響いていた。

―お前のエゴで、何千、何万もの魂が犠牲になるんだぞ―

この空間にいる人々は安らかに眠りながら、次に生を受ける瞬間をどこかで心待ちしている。もし自分の選択が、その流れを乱してしまうのだとしたら――そんな「輪廻転生」という人智を超えた法則を、果たして自分の願いのためだけに変えてしまっていいのか?

「どうした?何を迷っている。お前はどうしたいんだ?」

「いや、当然、紬には会いたいです…。でもそれが他の誰かの運命を狂わせてしまうのなら……」

「それは気にするな」

シナプスはあっさりと断言した。

「まず、現世にアクセスを希望する生徒がいれば、それを叶えることが優先だ。理由は分からんがそれがこの世界のルールなんだ。それと、問題はエネルギーだが、それも心配はいらない」

「でも、キドの話だと、全ての魂を焼き尽くすって…」

亮司が不安げに尋ねた。

「一時的にはな。でも魂というものは、そんなに簡単に消えてしまうものではない。燃え尽きるのではなく、水が巡るように静かに再生されていく。輪廻サイクルは確かに変化するが、それもまた、運命のひとつに過ぎない」

「そうすると、俺たちの輪廻も変わるって事ですか?」

高志が尋ねた。

「そういうことだ。すべてが一度、リセットされる。次にどこで何として生まれ変わるかは、完全に運次第になる。ただし――こいつに支配され続けるよりは、はるかにましだろ?」

そう言って、シナプスはキドを冷たく見下ろした。

「高志、それならもう迷う必要はない。紬ちゃんに、会いに行ってこい」

亮司の言葉に、高志も深く頷いた。

「……お願いします。シナプス先生、俺は紬に、娘に会いたいです」

シナプスは無言で頷き、奥へと歩き出す。

「ついてこい。転送用のマシンはこの先にある」

◇ ◇ ◇

その頃、沙梨は砂漠の中に一人たたずんでいた。手にはスマホを持ち、画面には高志達がいるサーバールームの位置情報が表示されていた。

「高志、やっぱり、私は見届けたい」

そう呟いてから、ふと立ち止まった。見届けたいって何を?高志が紬ちゃんに会うところを?それとも、彼が現世へ旅立っていくその瞬間を?

きっと、どちらも違う。

風のない砂漠で、沙梨は自分の心と向き合った。高志への気持ちは恋だったのか、それとも違う何かだったのか。彼が紬ちゃんのことを話すときの表情を思い出す。あんな風に誰かを想えることを、私は羨ましく思っていたのかもしれない。

「彼が、本当に父親になれるかどうか——それを見届けたいのかもしれない」

声に出してそう言ってみると、胸の奥がぎゅっと締め付けられた。自分でも分からない感情が、砂粒のようにざらりと胸の底に沈んでいる。

もしかしたら私は、高志を通して「愛する」ということを学んでいたのかもしれない。父親として娘を愛する彼の姿から、私が知らなかった愛の形を。

「間に合うといいけど…」

足早に歩き始めながら、沙梨は自分の中の答えを探し続けていた。

◇ ◇ ◇

転送用のマシンは、どこか古びたSF映画でよく見るような、冬眠用のタイムカプセルのような形をしていた。

「この中に入って、横になれ。それから睡眠ガスが出てくるので、お前は夢の中へと導かれる」

「え?AIで瞬間移動するんじゃないんですか?」

高志は目を丸くしたが、シナプスは首を横に振った。

「移動するのは、眠りについてからだ。お前は夢の中で娘と会うことになっている」

「夢の中?俺は現実世界で紬に会いたいんです。夢の中で会ったって…」

高志は釈然とせず問い返したが、シナプスがそれを制した。

「まぁ聞け。普通の夢とは違う。集合的無意識にアクセスするんだ」

「集合的無意識って?」

「人間の心の奥底――個人を超えた、深い場所だ。星座のように人類の記憶がつながり合い、個人の経験を超えた”心の深層”が広がっている。そこでなら、お前は娘に自分の想いをしっかりと伝えることができる」

高志は戸惑いを隠せなかった。

「そんな場所、本当にあるんですか……?」

シナプスが言葉を探す中、亮司が助け船を出した。

「なぁ高志、普通は出来ないんだが、お前と紬ちゃんには、繋がりがあるだろ?」

「…柴犬のぬいぐるみか?」

「そうだ、あれが鍵なんだ。離れた場所にある2つの存在が、不思議な”絆”でつながっていて、片方を観測した瞬間、もう片方の状態も決まってしまう現象がある。これを『量子もつれ』って言うんだが、それを可能にしている」

「もう少し、簡単に説明できないか?」

「いいだろう。例えば、二卵性の双子がいたとする。そのどちらかが転んだ瞬間に、もう片方も同じ痛みを感じるようなイメージだ。これがお前と紬ちゃんの間で起こっていると俺は考えている。それが『量子もつれ』だ」

「…何となく分かったよ。俺はともかく、紬の夢の中に入り込むんだな?そこでは柴犬のぬいぐるみを通じて意思疎通ができる。そうだな?」

「ああ、その通りだ」

「ところで俺が紬に会う時って、この高校生の姿なのか?」

「そうなるな。お前の影が何故、その姿だったのかは分からないが、変えられない」

高志はため息をついた。

「こんな子供が父親だなんて信じてくれないんじゃないか…」

亮司は首を振り、軽い口調で言った。

「お前たちが会うのは夢の中だぜ?イメージ的にはありだろう。柴犬のぬいぐるみさえ持っていれば、大丈夫さ。紬ちゃんだって若いパパの姿を見て喜ぶんじゃないか?」

高志は、釈然としなかったが、まぁ変えられないのなら仕方がないと諦めた。

「さて、ちょうど、お前の娘が睡眠状態になったようだ。心の準備はいいか?」

シナプスが言った。

「大丈夫です、お願いします」

高志は言った。

「よし、では、集合的無意識へのアクセスを開始する。このサーバールームの全エネルギーをこのカプセルに集中させるぞ」

シナプスがそう言うと、亮司が手を差し出してきた。

「高志、じゃあ、これでお別れだ。またどこかで会えたら良いな」

「え、なに言って……」

「さっき、シナプス先生が言ってただろ?輪廻サイクルはリセットされるって。俺もお前も修も沙梨も、みんなガラガラポン。どこかで生まれ変わるんだよ」

—そうか、そういうことか。ふと沙梨が言っていた「紬ちゃんと会えたら、きっともう私とは…」という言葉が頭をよぎった。

高志も亮司の手をしっかりと握りしめた。

「亮司、色々ありがとう。お前がいなかったら俺はどうしたらいいか分からなかった。俺だけ娘に会いに行くのは正直気が引ける。お前だって現世にアクセスしたかっただろうに…」

高志が言うと亮司は首を振った。

「そんな事は気にするな。これは言うつもりはなかったが…きっと俺は心のどこかで死にたがっていた。洋上パーティで足を滑らせて溺れたって言ったけど、その時には孤立していて、すでに行き詰まっていたんだ。自殺じゃないが、どこかでそういう願望があったのは確かだ」

亮司の声には、どこか遠い場所を眺めているような響きがあった。それは悔いでもなく、悲しみでもなく、ただ静かな受容だった。

「だからずっと羨ましかった。守るべきものがあるって、強いよな」

高志は、返す言葉を失っていた。自分はこんなに近くにいて、亮司の心の底深くにあった悲しみに気づいてやれなかった…。その事が無性に情けなく感じられた。

「亮司…」

握られた手が熱く、わずかに震えていた。その震えが、言葉にならないすべてを物語っていた。

「そろそろ時間だ。カプセルを閉めるぞ」

シナプスの重厚な声が突然響いた。二人は手を静かに離した。

カプセルの蓋が閉まると、瞬時に睡眠ガスが満ちていった。透明な壁越しに見える亮司の顔は、ぼやけていく視界の中でも、最後まで確かにこちらを見つめ続けていた。

薄れゆく意識の中で高志は何度も手を振った。亮司も、それに応えるように手を振り続けていた。

——もし、もっと違う時間、違う場所で出会えていたら。きっと、もっと遠くまで一緒に歩けたのかもしれない。

やがて高志の意識は、深い海の底へ沈むように、静寂の闇へと溶けていった。そして、その闇の向こうに、小さな光がひとつ、瞬いているのが見えた。

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