犬のかたちをした記憶|第19章:その日、僕らは別れを言った – 涙の別れと隠された真実 | ねじまき柴犬のドッグブレス

犬のかたちをした記憶-第十九章:その日、僕らは別れを言った

2025年
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──言葉にできない”過去”と”今”のあいだで──

「色々、迷いもあったけどボクはもう解脱させてもらうよ」

修は未練組が全員揃った教室で、そう宣言した。

「まぁ、良く決断したな、修!このままだと、永遠にこの世界を彷徨い続けることになったからな。お前の魂は救われたんだ」

キドはそう言って修の肩をポンと叩いた。高志達はその様子を喜ぶべきか嘆くべきなのか分からず、複雑な心境で見ていた。

「じゃあ早速行こう。俺のジャガーで解脱の丘まで送ってやろう。駐車場で待ってるぞ」

キドはそう言って教室を出て行った。修は「ありがとうございます」そう言って頷いた。

「修、お前、本当にそれでいいのか?」

高志が尋ねた。声には隠しきれない寂しさが混じっていた。

「うん、もう迷いはないよ。ボクはあれから亮司君にボクが生きている未来のシミュレーションを、AIのZENに数え切れないくらいしてもらったんだ。でも、残念ながらボクが生きている未来に、幸せになれそうなものがなかったんだよ。ボクも家族もね。だから決めたんだ、成仏しようって」

修の声は静かだったが、その奥に深い諦めのようなものが感じられた。

「そうなのか、亮司?」

高志は亮司の方を向いて尋ねた。亮司はここ数日で、別人のようにやつれていた。もうすでに死んでいる人間がやつれるはずもないのだが、高志は独特の疲労感のようなものを感じていた。

「ああ、残念ながら良い結果は報告できなかった。それは俺も同じだけどな、ただ俺は生まれつき諦めが悪いんだ。もう少し粘ってみる」

亮司はそう言って苦笑いをした。

沙梨がそっと修に近づいた。

「修君、解脱するってことは決して後ろめたいことじゃないよ。むしろ私ら未練組の方がまともじゃないのよ。だから幸せになってね」

沙梨がそう言って修の手に手のひらを重ねた。修は突然のことに照れているようだった。

「そ、そうだよね。それとこんなこと言うのは少し気が引けるけど、またどこかで君たちに会えたらなって、本気でそう思ってる。今まで本当にありがとう」

修は今にも泣き出しそうになっていた。その瞬間、教室に静寂が流れ、四人の間に確かな絆があったことを皆が実感した。

「そうだよな、でも今度はもっと明るい場所で会いたいな。いつになるか分からないけど」

高志もそう言って、そっと手を重ねた。

「俺もそう思う…。お前らとは現世で会えたら、何か面白いことが出来そうな気がする」

亮司も手を重ねてそう言った。

「…これで未練組は解散だ…」

この亮司の一言で皆は手を離し、修は軽く頭を下げ、教室を出て行った。3人は修に手を振って別れを告げた。虚脱感のようなものが残り、しばし沈黙があった。

亮司がおもむろに口を開いた

「さて、俺はまた実験室でシミュレーションの続きをするがお前らはどうする?」

高志もシミュレーションに興味があったので誘いを受けることにした。

「俺も付き合うよ」

「私はパスするわ。ちょっと用事があるの」

ほぼ同時に沙梨の声が聞こえた。

「分かった。じゃあ、高志、一緒に行こう。ところで、お前ら何かあったのか?砂漠に行ったあとから何となくおかしいぞ」

亮司が何気なく尋ねた。高志は、こいつは妙に敏感な奴なんだなと感心した。

高志は沙梨が、自分が生前に飼っていた柴犬のサリーだと知って、それ以来沙梨のことをどう呼んでいいか、まだ分からないでいた。

目を合わせるたびに、懐かしいのに、どこか距離があった。

沙梨も、なんとなく目をそらしていた。

まるで、言葉にできない”過去”と”今”のあいだを、ふたりで手探りしているようだった。

「お前ら、ひょっとして付き合ってんじゃねえか?」

不意に亮司が言ったが、

「無い!」と図らずも高志と沙梨が同時に叫んでいた。


実験室で高志と亮司は、シミュレーションを繰り返したが亮司は明らかに行き詰まっていた。

「どうしても答えが見つからないんだ」

亮司が呟いた。

「俺が、生き残るとどうしても離反者が出てくる。そうすると争いが生まれる。醜い争いだ」

「それで?」

「たとえ勝っても、敗者は不幸になっちまうから後味が悪い。じゃあ、俺が負ければいいって思うだろ?」

高志は頷いた。

「そうすると今度は俺の周りの人間が不幸になる。どうしても巻き込んじまう。俺の人生には中間というものがないんだ」

亮司はため息をついた。

「なかなか難しいもんだな。でも亮司、あんまり根を詰めるなよ。お前、今、自分がどんな顔しているか知ってるか?頬がこけて、目が落ちくぼんで…このままじゃ成仏する前にゾンビになっちまうぞ」

実際に亮司は白髪交じりで、皺も増え、以前より10歳くらいは老けてしまったように見えていた。高志がそう言うと亮司は久しぶりに笑顔をみせた。

「ゾンビか、そりゃ面白い。天国にゾンビがいるなんてB級ホラー映画になりそうだな」

「笑いごとじゃないぞ。本当に注意しろよ。ところで、その、俺の未来はどうなんだ?やっぱり離婚は避けられそうもないのか?」

高志がそう言うと亮司は首を振った。

「キドも言ってたろう?『お前のデータには異常がある』って。キドに解らないことは、俺にも観測不能だ」

「…そうか、分かった。残念だけど、キドの回答を待つしかないか…」

「そうなんだ。ところで、話は変わるが調べていて色々分かったことがある。お前だけに話しておきたい。沙梨に話すと、キドにチクられちまうかもしれないからな。」

「いいけど、どんなことだ?」

「この世界のことだよ。俺たちがどこから来て、どこへ行くのか、そもそも俺たちは何者なのか。そういうことが少し見えてきた」

高志がキョトンとした顔をしたので、亮司はニヤリと笑った。

「ちょっといきなりすぎたかな?悪かった。順を追って話そう」

亮司は椅子に座り直した。

「なあ、高志。最近さ、ログアウトしたあとに……変な夢を見ないか?」

「夢?」

「同じ場所を何度もさまようような、やけにリアルな夢。俺はあれ、ただの夢じゃない気がしてるんだ」

高志は黙って頷いた。心当たりがないわけじゃなかった。高志もまた、何度か同じ夢を見た記憶があった。乾いた風が吹きすさぶ場所で、何かを必死に探している——そんな断片的な夢を。

「それで気づいたんだ。たぶん、あのシャットダウンの間、俺たちはどこか別の場所に戻ってる」

「……戻ってる?」

「そう。そして俺の仮説が始まったんだ」

「まず俺たちは、定期的にシャットダウンして、またログインをしているよな?その間、一体どこにいるんだ?」

「どこって…記憶がないから分からないな…」

「俺も初めは分からなかった。それが何となく分かったのは、キドに砂漠に連れて行かれたときだ。土の中に埋められて時にお前は何か感じなかったか?」

高志は首を振った。悲観的な未来ばかりみせられて、うんざりした記憶しかなかった。

「そうか。俺が感じたのは何かに繋がっているという感覚だった」

「繋がっている?」

「ああ。悲観的な未来を見せられ、うんざりしていたが、同時に穴の中で安らぎにも似たものを感じていた。まるで故郷に帰ったような感覚だった」

高志は、まだ釈然としなかった。

「よくわからないな?それがこの世界の成り立ちとどう繋がっているんだ?」

亮司の目が輝いた。

「俺たちの実体はあの砂漠にあるんじゃないかと思っている。今、こうして話をしている俺たちは、いわば砂に刻まれた写し身のような存在だ。そこから投影されている影のようなものなんだよ。」

「影?」

「そう考えると全ての理屈が通るんだよ。なぜ俺がこんなにやつれているかも説明がつく」

高志は困惑した表情を見せた。

「つまり、俺たちは毎日あの砂漠から来て、ログインしてシャットダウンして帰っているということか?唐突過ぎないか?」

「それを証明する理由はいくつかある。たとえば今、俺がこうしてやつれ果てているのは根を詰めたからじゃない。きっと瞬間移動をやり過ぎたからだ」

「瞬間移動が関係するのか?」

「影を投影するということはある意味で、コピーを作るということだ。瞬間移動も同じ原理なんだよ。コピーを繰り返せば、品質は劣化していくだろう?」

高志は頷いた。そう考えれば、確かにあの瞬間移動の時に感じた違和感や、耳鳴りのような高周波や気怠さを感じたことは納得がいく。

「つまり、瞬間移動するたびに、自分自身が摩耗していたという訳か…」

「そういうことだ。危険な行為だったな。お前や修はほどほどにしておいて良かったよ」

そう言うと、亮司は俯き少し咳き込んだ。

「おい、大丈夫か?続きは明日でも良いんだぞ?」

「いや大丈夫だ。話が出来るうちにしておきたい。それから、もう一つの理由はキドが俺たちをわざわざあの砂漠まで連れて行ったことだ。何故だと思う?」

「なぜだろう?」

「それはあそこでないと未来観測ができなかったからだ。未来をシミュレーションするには莫大なエネルギー必要なはずだ。それがあの砂漠の中にはあった。そのエネルギーの正体は何なのか?」

亮司は掠れた声で、興奮気味に話した。

「おそらく俺たちの魂のようなものの実体だ。それが無数に集められている。これが俺の仮説だ」

高志にはその貪欲な探究心に感心するしかなかった。自分にはとても考えられない発想だ。ただ、一方でそれが分かったところでという考えも浮かんだ。そんな高志の表情を読み取ったのか、亮司が続けた。

「そこでだ。俺はその仮説から、新たなプランを立ててみた。それが…この世界を壊してしまうか浄化するのか分からないが、高志、これはお前と紬ちゃんのためのものだ」

高志は紬の名前をいきなり出されて驚いたが、一気に関心が高まった。

「亮司、ありがとう。ぜひ聞かせてくれ!」

高志の言葉に亮司は嬉しそうに微笑み、息を荒げながらも、自分のプランを話し続けた。


そのころ修はキドのジャガーに乗り、解脱の丘に向かっているところだった。修はキドと二人でいることに気後れし何も喋れないでいた。キドもまた何も喋らずタバコをふかし、ロックミュージックを聴きながら運転していたので二人の間に会話は一切無かった。

キドは気にしていないようだったが、修は気まずい思いで一杯だった。車内に流れる音楽が妙に攻撃的に聞こえ、キドの横顔が時折、影で歪んで見えた。何か胸の奥に沈んでいく不安のようなものを感じながら、修は早く解脱の丘に行きたい、煩わしいことすべてから解放されたいと一心に願っていた。

それから、キドのジャガーがハイウェイをおり、未舗装の道路に入った。修はなんとなく見覚えのある道だったので、キドに尋ねた。

「あ、あのキド先生、この道って確かこの前行った砂漠に続いている道じゃ…」

キドは修をチラッとみて頷いて言った。

「そうだが?それがどうかしたか?」

「いや、だってボクは解脱するんですよね?解脱の丘を越えないと…」

修の声には動揺が隠せなかった。不安が胸の中で大きくなっていく。

「あんなものはまやかしだ。本当はな、未練のない魂が暮らす世界は別にあるんだ。今、そこに向かっている」

キドの言葉に修は不安を隠せなかった。

「いや、先生、またボクは埋められるんですか?話が違うじゃないですか」

修の声が震えた。何かが間違っている。そんな予感が修の心を支配し始めた。キドの表情が、バックミラー越しに見えた瞬間、修は背筋に冷たいものが走るのを感じた。いつものような軽薄な笑みが消え、そこには見知らぬ人間の顔があった。

修の心臓が激しく鼓動を打ち始める。車内の空気が急に重くなったような気がした。ロックミュージックの音が、まるで不協和音のように耳に刺さる。

するとキドは急にジャガーを道路の端に寄せ、一時停止した。エンジンが止まり、砂漠の静寂だけが残った。

「先生、ボクはどうなるんですか?」

修の声は小さく震えていた。逃げ場のない密室で、修は自分がとんでもない間違いを犯したことを悟り始めていた。

「…うるさいんだよ、お前」

キドがそう言うと、修は急に前のめりになって倒れ込んだ。

「ああ、帰りたいよ、みんな…」

修はそう呟くと意識を失った。キドは不敵な笑みを浮べその様子を眺めていた。

その手にはスタンガンのようなものがしっかりと握られていた。

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