辞書で調べてみると、「外人」には次のような意味があるようです。
①仲間以外の人。疎遠な人。
②敵視すべき人。
③外国人。異人。(『広辞苑』より)
僕は子供の頃から外人みたいとよく言われてきた。髪の毛が茶色く、色素みたいなものが全体的に薄くて目の色も薄い茶色で、肌も結構白かったからだ。友達は気を遣ってそういうことは言わなかったけど、知り合いがいないところに行くと、陰でそう言われたりして結構傷つく事があった。本物の欧米人と並んでみれば、僕なんかは全くの日本人に見えたはずなんだけど。
何しろ子供の頃は目立たずに、なるべく他の子と同じでいたかった。五体満足に生まれたんだから、贅沢を言ってはいけなかったのかもしれないけど、よく言えば繊細、悪い言えば神経質な子供だったのでとても気にしないでいることはできなかった。今だったら生まれつき茶髪で色白なんて羨ましがられただろうけど、当時は男子はお金をかけてでも日焼けをしようとする時代だったし、色白だと男らしくないと思われた(実際に女子から直に言われた事もあった)。それで僕も海に行った時、何度も肌を焼こうとしてみたけど、結局やけどみたいになって、水ぶくれができてしまい、苦しくて眠れなかった事を覚えている。今だにその時の日焼けの跡がシミになって残っていてすごく後悔している。
ところで当時は海外の人をまとめて「外人」という呼び方をしていた。主に欧米人をそう呼んでいたと思うけど、今思うと外国人に対して、少し差別を含んだ言い方だったような気がする。江戸時代に言われていた南蛮人という呼び方よりははるかに進歩はしているものの、まだ海外旅行に行く人も少なくネットも見られなかった頃だったから仕方なかったのかもしれない。また背景には憧憬や畏怖があったかもしれない。
それでも学校では友達も結構できて、みんな髪の毛とかは気にせずに付き合ってくれて、学校での環境には恵まれていたと思う。また、高校を卒業したくらいのころから、ようやく髪の毛も少し黒くもなってきて、肌の色も色白も悪くないなと思えるようになってきていた。
今は、僕は僕のままで良かったのになと思えるようになった。価値観なんてその時代によって変わっていくものと解ったから。だから、もし子供の頃の自分に会えたら、「そのままでいいんだよ」って言ってあげたいけど、もうかなわないのが残念。でも何年かしたら今の自分にも「そのままでいいんだよ」って言える日が来るかもしれない、そう思うと気持ちが少し楽になる。
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