小説のイメージアニメーションの第二弾です。よかったらご覧下さい。
下記には、中編2と最終章を転載しています。
※アニメの方では、イメージに合わせて一部文章を組み替えています。
乗降客の多い駅に着いたとき、たくさんの人が移動する音とドアから入ってきた寒気で、突然、僕は半覚醒状態から目覚めさせられた。自分が何処にいて何をしていたのか分からなくなっていた。なんとか意識を現実になじませようと、手を何度か開いたり閉じたりした。彼女はその様子を見て心配になったのか、読みかけの本を閉じて話しかけてきた。
「ねえ、タダノくん大丈夫?顔が真っ青よ。具合が悪いんじゃない?汗もかいているみたいだし。」
タダノというのは僕の名前だ。僕の意識にはまだピースの残像が残っていたが、それを必死で追い払うようにして答えた。
「大丈夫です。最近寝不足だったので、ちょっと疲れていただけです。心配してくれてありがとうございます。気にしないで本を読んでいてください。」
彼女は学年が同じでも年上だと知っていたので、いつも僕から話しかけるときは敬語を使っていた。
「ところで、オカダさん何の本を読んでいたんですか?」
僕は話題を変えたかったので、そう言ってみた。彼女はまだ僕の事を心配そうに見ていたが、本の話題になると嬉しそうな顔をして言った。
「心理学の本よ。ねえ、知ってる?人間はトラウマを経験すると、それを克服するために倍の年月が必要になるんだって。例えば13才で経験したとしたら26年後。もう39才ね、うんざりするわ。」
「そうなんですか。それは大変ですね。」
僕は、聞きたい内容ではなかったのでさらりと返した。
「ところでタダノくん、傘は持ってる?外は雪が降っているみたいよ。」
僕が本に興味がなさそうに見えたのか、突然彼女は話題を変えた。
「まさか、こんな暖かい日に。それにもう3月ですよ。」
僕は驚いた。今日は平年より暖かい日だったし、地下鉄に入る前にも雪なんか降っていなかったから。
「私にはわかるの。外は雪よ。」
僕はスマホを取り出し、おもむろに天気予報を確認し始めたが、彼女はそれを無視して意味深な笑みを浮かべて言った。
「ねえ、タダノくん、人は結局は独立した個の存在だと思わない?家族や友人とどれだけ長い時間を共有しても、完全に理解しあえることはない。仲違いすることもあるし、束縛されて煩わしいと思う事もある。一見たくさんの人に囲まれて楽しく過ごしているような人でも、誰にも理解されずにその人なりの苦悩を抱えている事もある。でも何か目に見えない物で意識は繋がっている、あなたが大切に思っている人や時間、街の空気や海や山や自然、大きな意味で言うと空間と。そう感じることができれば、世界には自分を理解してくれる人がいないとか自分には何かが欠落していると思って嘆くことも少なくなる。でも誤解しないでね。別に宗教的な意味で言っている訳じゃないから。」
僕は彼女が何を言っているのか、僕に何を伝えたいのかがさっぱり解らなかった。でも同時にその言葉の真意をどうしても知りたい気持ちに駆られた。
「すいません、僕は勉強不足なのかオカダさんの言っている意味がよく分からないんです。それは何か心理学的な分析から出された結論なんですか?僕の話でいうと、比較的一人でいることが好きな人間なのですが、それなりに楽しんでいてそれを孤独と思ったことはありません。正直、たまに人に会いたくなって寂しくなることもありますけど、友達が多い方じゃないのでそれは仕方ないですよね。生き方の選択の問題だと思っています。」
平静を装って言ったつもりだったが言ったが、鼓動が少し速くなっているのが分かった。その時、初めて彼女の事を間近で見たが、目鼻立ちがくっきりとしていて、端正な顔をしていた。眼鏡はいつの間にか外していたので顔立ちがよく分かった。体格は小柄な方だ。美しい人だと思ったが、20代前半の女性が本来持っているはずの無邪気さや溌剌さのようなものが、なぜか感じられなかった。そのせいか一般的な美人とは思われなかったかもしれないが、彼女には、心のうちに秘めている何か強い生命力のようなものようを感じた。いつかそれを使う時に備えて、厳しい寒さに耐えて越冬して春を待つ植物のように。そしてその切れ長の目と長い睫毛をたたえた瞳は、確かに僕を見てはいたが、僕を通り越して、何かその先にあるものを見ているように思えた。
「もちろん、いつもうまくいくわけじゃないの。生きていくのは大変なことよね。意識を繋げることを阻害する要素が現実社会には山のようにある。私も今まで大切な人と決別したり死別も経験した。本当に理解して欲しいことを誰にも打ち明けられず、勇気を持って打ち明けてみても理解されず、自分は世界で一番孤独な人間なんだって何度も思った。でも絶望し続けて疲れ切ったときに、ある日、体の力が「すとーん」って抜けていくことがあったの。人間ってそうそう同じ状態を続けられる物じゃないのね。絶望もおんなじ。その時、突然、深い闇のトンネルを抜けるような瞬間がやってきたの。最初は眩しくって目をつぶってしまったけど、目が慣れてくると粒子の一粒一粒まではっきり見えるような、柔らかくて優しい光が見えた。その時、理屈ではなく直感的に感じたの。自分は確かにこの世界と繋がっているって。」
僕は黙って頷いていたが、どう答えて良いか分からずいた。そして外の天気がどうなっているのか気になって仕方がなかったが、彼女からどうしても目をそらすことができないでいた。
「うーん、口で説明するのはなかなか難しいわね…。できるかどうかわからないけど試してみるわ。」
そう言ってから、彼女は軽く深呼吸をしてゆっくりと僕の手に自分の手を重ねた。小さいけれどとても柔らかく、温かい手が僕の手を包んだ。そして目をつぶってから僕の耳元で囁いた。
「タダノくんも目を閉じて。」
目を閉じると、突然、爽やかな春風が梅の花の香りを運んできた。そして家族で梅園にピクニックに行った時のイメージがフラッシュバックした。初春の陽光の中、父が兄と談笑しながら歩いていた。まだ小さかった僕は母に手を引かれて、父と兄に置いて行かれないように一生懸命歩いていた。汗をたくさんかいたが全然辛くはなかった。むしろ、家族みんなでこんな風に歩いていることが楽しくて仕方がなかった。そしてまだ若かった母の手の感触がとても柔らかく温かくて心が躍った。
その後に、朝の光がカーテン越しに差し込み、宙に浮いた塵やら埃やらが反射してキラキラしているイメージが現れた。その日は珍しく父が家にいて、家族全員そろって朝食を食べていた。父と母はお互いにほとんど口を聞かず、なんとなく戸惑っているように見えたが、それでも母は黙々と料理を作り続け食卓に並べて、父のためにコーヒーを淹れていた。僕は「ぽかーん」としてその光景を見ていたが、母から早く食べなさいと注意されて、ようやくトーストを口にした。父はNHKの朝のニュースを熱心に見ていたし、兄はひたすら母の作った料理を食べて続けていた。何か特別な事があったわけではない。でもそこには、何かぼんやりとしているけど暖かな空気があった。忘れかけていた懐かしい日曜日の匂いがした。できればずっとこの空気に浸っていたい、この匂いの中にいたい、そう思った。その時、僕は確かに何かに守られていたし、そこには僕の居場所があった。欠けていたピースが埋められていくのを感じた。
「暖かくなったらお花見にいこうか。」
彼女の声で我に返った。いつの間にか彼女は手を離し、席を立っていた。彼女の降りる駅に着いたようだった。電車を降りた後、彼女はドア越しに手を振ってくれたが、僕はバッテリーが切れたロボットのように体が硬直してしまい、ただ頷くことしかできなかった。なぜ、あんなことができるんだろう?これが繋がるっていうことなのか?混乱は収まらず、あやうく降りるべき駅を乗り過ごすところだった。
地上にある私鉄のホームに出ると、驚いたことに彼女の言うとおり外は本当に雪だった。とても細かな粉雪だったけど視界が遮られるほどの勢いがあり、それはまるで僕の中の真白なピースがバラバラに砕けて宙に舞っているかのように見えた。
彼女が見せてくれたのは、すでに失われてしまった古くて温かい夢だった。もうおそらくは二度と戻ってこないものだ。心の中のピースはいつ埋まるかわからない。冷たい外気に触れているうちに僕は徐々に現実に引き戻されていった。それでもあの時、僕と彼女の意識は確かに繋がっていた。いつか僕にも2重の闇を抜けて、柔らかくて優しい光の粒子を感じられる時がやってくるのだろうか。
彼女は「暖かくなったらお花見にいこうか。」と言っていた。それがただの社交辞令だったのかデートのお誘いだったのかどうかわからないけど、思い出すとホワホワとした温かさに包まれた。
そうだよな、放っておいてもこの雪もいつかは止んで春が来て花は咲き乱れる。蒸し暑くて寝苦しいけど心躍る夏、清々しいけど何かもの悲しい秋、骨身にしみる寒い冬がやってきて、雪がまた降りしきる時もあるだろうけど、やがて春はまた訪れる。
僕のピースとは全く無関係に季節はまた巡っていく。
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