日曜日の昼下がり、ふとしたことで人助けをした。原宿駅前で、動けなくなったおじいさんに声をかけられたのだ。僕は明治神宮をぶらぶらして、家に帰る途中だった。
「すみません、病院に行きたいんですが、足が動かなくなってしまって……助けていただけませんか?」
振り返ると、杖をついた小柄なおじいさんが立っていた。キャリーバッグを持ち、手足は小刻みに震えている。その姿は、まるで風が吹いたら消えてしまいそうな枯れ葉のようだった。僕はあと一歩踏み出していたら、きっとその声を聞き逃していただろう。
「どちらまで行くんですか?」と僕は尋ねた。
「原宿のリハビリセンターまで行くつもりだったんですが、急に動けなくなって……」
歩いて行くのは無理だと思い、「タクシーを呼びましょうか?」と言うと、おじいさんは小さく頷いた。僕は通りでタクシーを拾ったが、おじいさんは一歩も動けず、その場に立ち尽くしていた。
タクシーは駅前の信号で待っていてくれたが、他の車からはクラクションの嵐だった。僕は、もっと段取りよくやればよかったと後悔した。先におじいさんをタクシーが止まっている場所まで連れて行くべきだったのだ。
10分ほどかけて、僕はおじいさんを支えながらタクシーまで誘導した。運転手さんは親切な人で、嫌な顔ひとつせずに僕たちを乗せてくれた。僕は見知らぬ通行人だと話すと、彼は驚いていた。「渋谷まで送りますよ」と言ってくれたが、それは断った。
タクシーの中で、おじいさんに話を聞くと、大塚から電車で原宿まで来たと言った。しかも自分のリハビリのためではなく、友人のお見舞いに来たという。「それはすごいですね」と僕は言ったが、実のところ何が「すごい」のかは自分でもよくわかっていなかった。正直なところ、テンパっていてただただ、ひたすら話しかけていただけだったから。
病院までは10分ほどで着いた。タクシー代は僕が立て替えた。受付に「動けない方がいるので介助をお願いできますか?」と聞くと、「介助はできません」と冷たく返された。仕方なく、おじいさんを支えながら受付まで歩いた。
ようやくたどり着くと、受付の人の態度が一変した。「車椅子を持ってきますから、少しお待ちください」と。どうやら、他の見舞い客が「リハビリ施設なのに、なぜ介助ができないのか」と抗議してくれたらしい。僕は、見舞い客に丁重に礼を述べた。施設の人はそれから「施設の決まりで、患者さん以外の人に直接触れたりすることは出来ないんです。それはご理解ください。」と言われたので、僕もそういうものなのだろうと納得したが、社会というシステムは誰かが「おかしい」と声を上げるまで、ひたすら「おかしいまま」動き続けるものなのかとも実感した。
おじいさんは「お礼をしたいので、連絡先を教えてください」と言った。僕は「大したことはしていないので」と固辞したが、彼は気が済まないと言うので、連絡先を交換した。
その後、渋谷まで歩いた。15時を過ぎていて、昼ご飯もまだだったが、どこも混んでいた。面倒になり、結局、横浜に帰って駅前の日高屋で生姜焼き定食を食べた。
普段の日曜日は、午後にプールに行くのが習慣だ。でも、その日は天気が良くて暖かく、気晴らしに外出したくなった。それに、小説のリライトを終え、心身ともに疲れていたこともあった。
明治神宮に行く予定はなかった。最初は新宿御苑に行ったが、混雑していて早々に退散した。それで、なんとなく千駄ヶ谷門から明治神宮へ向かった。その帰りに、あのおじいさんと出会ったのだ。
人助けをしたことで、もっと満ち足りた気分になるかと思ったが、実際には自分の段取りの悪さを反省するばかりだった。タクシーを呼ぶタイミングや、受付での言い方など、もっとスマートにやれたはずだと思った。
次の日、おじいさんから電話があった。「お礼がしたいので、会えませんか?」という内容だった。僕は「大したことはしていないので、気にしないでください」と答えたが、彼は「タクシー代も払ってもらったし、それでは気が済まない」と言った。
彼が90歳だと聞いて、僕は少し驚いた。彼は僕の名前も覚えていないようだった。「もしもし」とだけ言ったからだ。その声を聞いて、僕は母を介護していた時のことを思い出した。支離滅裂な話し方、抱きかかえたときの老人独特の体臭。老人の声には、時間が削り取った柔らかさがある。
「90歳まで生きるって、どんな感じなんだろう?」と僕は思った。もうすぐ60歳になる僕は、どこかで人生が一区切りついたような気がしている。でも、もしかしたらあと30年も生きるのかもしれない。それは、長いようでいて、実際にはあっという間かもしれない。
もしまたおじいさんから連絡が来たら、僕は大塚まで会いに行こうと思う。タクシー代は惜しくないし、お礼を期待しているわけでもない。それは単に、僕が日常の中に何かしらの変化を求めているからだと思う。新しい出会いの中で、これからの人生を生きるための何か小さなヒントを見つけられたら、それでいいのかもしれない。
そして、変化というのは、たいてい予想もしない場所からやってくるものだ。
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